本

『マンガ傑作落語大全 ウソとマコトの巻』

ホンとの本

『マンガ傑作落語大全 ウソとマコトの巻』
高信太郎
講談社SOPHIABOOKS
\1680
1998.8.

 落語は、もっと見直されていい。落語文化の普及のために、噺家の中には実に文化的な働きを続けている人が多い。たんにお笑いということでテレビに出てタレントになるような人がいないわけでもないが、多くの噺家には、この文化を守り伝えようとする心がある。それほどに、これはもう伝統文化であり、伝えて遺さなければならない、心なのである。
 落語を理解するためには、当時の状況や考え方、時代背景などに通じている必要がある場合もある。しかしまた、それを今の時代に理解されやすいようにアレンジしていく自由もある。創作落語というのもあり、また名人芸と言われている落語にも、創作されたものがもちろん多々ある。
 落語は、もちろん実演を演芸場などで見るのが一番いい。また、映像メディアででも、たいていは分かると言える。ラジオやCDだと、残念ながら姿が見えない。仕草による部分が伝わらない。また、落語を、文で伝える本もある。落語を一つのストーリーのように考えると、これも一つのよい方法ではある。だが、演じてなんぼと考えると、これはいわば演劇の台本のようなものでしかないかもしれない。価値はあるが、落語の息吹を伝えるものではない。
 さて、そこで、この本である。マンガである。筆者をご存じの方は、その軽妙なとぼけたタッチをご存じであろう。へたをすると、子どもの落書きのマンガかと思われるほどのシンプルな、テクニックのないような、デッサンも構図もあったものかというようなコママンガである。しかし、この落語の紹介の本で、思い知らされた。そのようなタッチが、落語に実に合うのである。落語というのは、このマンガにあるような絵の様子を、噺家が聞き手の中に想像させている世界なのだ、というふうに思えてきた。
 このマンガは、ほぼ2人が会話をするというコマが殆どである。これはまさに、落語の場面そのものである。噺家は体の向きを変え、声色を変えることで、これを演じる。聞き手が頭に描くのが、たぶんこのマンガのような世界なのである。
 一話の幕ごとに、それにまつわる筆者のエッセイが2頁の中で書かれているのもまたいい。これは実に個人的な事柄も多く書かれているが、それが、噺の理解を深めてくれる。もちろん、解説にもなっているわけだし、当時の考え方や時代背景というものもこの場を用いて教えてくれる。噺もよく分かるし、歴史を学ぶ気持ちにもなってくる。さらに、小噺が息抜きのようにちりばめられてあって、それぞれ笑える。
 いやあ、楽しい。それぞれのオチを、どうぞ楽しんで戴きたい。落語の世界が、この一冊で、かなり分かった気になってくる。しかし、面白いばかりではない。この本の最後を飾る「芝浜」をご存じの方は、ほろりとくるものを感じることだろう。昔気質の正直な生き方が随所に現れると、現代人が忘れかけているものを、取り戻せるような気もするのだが、どうだろうか。




Takapan
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