本

『パンプキン!』

ホンとの本

『パンプキン!』
令丈ヒロ子作・宮尾和孝絵
講談社
\1260
2011.7.

 すべての漢字にふりがなが振ってある。従ってひらがなさえ読めたらこの本は読める。それほどに、どんな子にも読んでほしいという熱意が伝わってくる。
 副題は「模擬原爆の夏」。とても表紙の少年少女の絵からは連想できないような言葉であるが、よく見ると表紙の上の隅に戦闘機が小さく見え、そこからこのパンプキン爆弾が落下しているのが分かる。少年と少女の足もとからは、いくつもの緑の芽がふいている。  中に折り込んだカバーの部分に、この「パンプキン爆弾」のこと、「模擬原爆の碑」の写真と説明が入っている。これは子どもが読めなくてもさしあたり構わない。大人が開いたときに、ここに目が釘付けになることだろう、ということだと思う。
 始まりは、児童文学。ヒロカという小学五年生の快活な少女の語りである。しかし全体的に会話で場面が進み、よけいな描写はないと見てよく、テンポ良く進んでいく。とくに初めは大阪弁まるだしの場面だから、抵抗のない人はどこか漫才を聞くかのような小気味良さを感じることだろう。
 勝ち気な少女と、そのいとこの賢い男の子。大阪と東京という永遠のライバルの出会いは、対照的な性格とともに、物語を鮮やか色づける。いや、そんなことはどうでもいい。この男の子が、住吉区にある模擬原爆の碑を調べに夏休みにひとりでやってきた、というところから物語は始まるのである。
 私も知らなかった。長崎に投下されたファットマンと呼ばれる原爆と同じ形の爆弾が、1945年7月から一ヶ月間に、全国各地に約50発、落とされていたのだ。つまり、原子爆弾投下の練習であり、実験であったという。
 この事実そのものがはっきりしたのは、1991年であるという。米軍の資料から明らかになったのだという。模擬爆弾は核物質を搭載していない。焼夷弾でもない。米軍は、原爆投下予定地には、焼夷弾は撒かない方針だった。焼かれない町が原爆によりどう変わるか、知りたかったらしい。それでも、爆弾であるから、死傷者は少なからず出ている。色と形から、ハロウィーンのかぼちゃを思わせるということで、これはパンプキン爆弾と呼ばれたそうだ。アメリカにとり、これは原爆のためのリハーサルであったのだ。
 夏休みの自由研究でこのことを調べに来た男の子たくみに反感をもちつつも、少女は、自分の町に落とされたこの原爆のモデルに興味をもつ。ついに自分の夏休みの自由研究にしてしまう。肝腎のたくみのほうは、自由研究は大阪弁で、この原爆のことは、学校で発表する目的でやっているのではなくて、自分で知りたいという純粋な思いから調べに調べているらしい。こうして二人の性格や行動が対照的に描かれていることは先にも触れたが、たしかに面白い。
 調べている間に、たくみが詳しく説明するところもあるし、大人が少し解説を入れることもある。戦争を知っているかもしれないおじいちゃんであるよりも、戦争を知らない父親や子どもたちが戦争について熱心に語っているシーンは、作者が計算してのことだろうと思うが、戦争の記憶を次々に世代が引き継いでいかなければならないことを示していると思われる。それは、たんにどちらが悪いなどと言える代物でもない。戦争とはどういうことを言うのか、ややこしくなりながら、そして夏休みに調べた程度では何もかもが分かるわけがないということをはっきり受け止めながら、自分なりにひとつの成果へと導かれていく。あらゆるシーンが、戦争というものに対する私たちの適切な態度を見せてくれるようにさえ思える。子どもたちがこの物語から初めて戦争の内実について知ったとしても、悪い影響はきっと与えないことだろう。健全な姿勢を養うことができるのではないか。
 巻末には、この少女がまとめたであろう、夏休みの自由研究そのものがプリントされている。こんなふうに模造紙にまとめたことだろう、と。それが、この本で考えてきたことのまとめでもあった。心憎い演出である。
 原子爆弾そのものが、たしかに万単位で人を殺した。都市を壊滅させた。放射能を撒いた。だが、それが爆発する前に、必ずや念入りな調査をし、練習をし、リハーサルをしている。その当たり前のことをこの本は教えてくれた。いったい、どこでならば、止めることができたのだろうか。歴史に「もしも」は禁物であるが、私たちがそのときいたとしたら、何ができるのか、シミュレーションのようにでも考えてみるとよい。それがそのまま、私たちの生きるこの現実の時代の中で、私たちがどう選択し、考察しなければならないのかを、少しでも教えてくれる。
 大人の方々、この本は、そのように私たちに何かを考えさせてくれる。そして、何かを始める勇気を与えてくれる。いま被曝に喘いでいる東北ないし関東の人々にも何かを伝えてくれることだろうし、その人々に風評被害を与えている私たちにも、自分を見つめさせてくれるのではないかと思う。すぐに読み終えることができる。読んだらいい。平和についての答えは載せていない本だが、読者にきっとその答えへの歩みを始めさせてくれると思うのだ。
 沖縄にしても、この模擬原爆にしても、私たちはあまりに知らなさすぎる。無関心すぎる。それを痛感する。




Takapan
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