本

『読む哲学事典』

ホンとの本

『読む哲学事典』
田島正樹
講談社現代新書1839
\798
2006.5

 買っておきながら、一度中断して埃をかぶっていた本。ふと思い出して読み続けた。
 味のある本であった。ある種の信念をもって、仕事に向かう人間の姿をここに見た。
 哲学史を、通史として語るのではない。気になった用語をちらつかせて、哲学史の知識を誇るような本でもない。自分が生きるこの世界で、何かを考えるのに必要な言葉を繰り出してくる。たいていは、何か対比構造の中でそれらの後を持ち出す。そして、その背後に歴史的な背景を探りつつ、どうやってこの語を現代の人間が捉えているのかを射程におく。
 人間が、思考する場合に、どのような罠に陥るのかさえ、その視点は捉えようとしている。多くの知識人とやらがコメントする言葉が、いかに偽装に満ちあふれているのか、がはっきりしそうである。
 ただし、それらはほぼ無秩序に並べられている。筆者の気ままに書きつづったものが一冊の本になった。元はブログだそうである。
 真摯に思索に徹する人の仕事は気持ちがいい。しかも、思索に誠実であるということは、自分の凝り固まった信仰の護教に向かうのではなく、事象そのものへの問いを続けるということである。
 そこには、筆者の思惑が、ないわけではない。だから、この本自体が、また一つの批判対象として、また別の哲学事典が生まれてよい。筆者もそれを望んでいることが、まえがきに明らかにされている。
 新書に項目を設けるということは、必要以上に詳述したり具体例を挙げたりすることができないということである。そのため、抽象思考が続き、一定の訓練を受けた人でなければ、なかなか読み進めるものではない。あるいは、とんでもない誤解をしながら読んでいく危険性もある。思索は、見た目の格好良さでは務まらない。しかしまた、時代と現象の背後に潜んでいる当たり前の思考や精神を、捉える必要を感じている人は、この本の語る声に耳を傾ければいい。その上で、読者がひとつの思索の旅に出ること、その旅の過程を綴ること、そこに、新たな哲学事典が生じることになる。
 私の一つのお気に入りは、左翼と右翼の話であった。だからそうか、と妙に納得してしまったのであった。




Takapan
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