本

『PRAY FOR JAPAN』

ホンとの本

『PRAY FOR JAPAN』
prayforjapan.jp編
講談社
\999
2011.4.

 2011.3.11.
 これを見た人は忘れることがない。
 その日の夜被災地の二十歳の大学生がサイトを立ち上げた。そこには、日本中から、そして世界中から声が集まってきた。
 ――これは、きっと日本の財産になる。
 ネットだけに留まらず、本として証しすることになった。写真も、文も、ぐっと見易くなった。そして、ネットに頼らない一般の人々にも広く知られることができるようになった。
 私は涙腺が緩い。だから、もうだめだ。この本の頁をひとつめくるごとに、世界がぐしゃぐしゃに歪み始める。
 よけいな言葉は要らない。
 この思いは、震災当初のものである。一ヶ月後にこのようにまとめられているものだからだ。今そこから半年を経ている。どうだろうか。さすがにちょうど半年後の日には記事が多かったが、日に日に震災関係の新聞記事は減少している。関心も薄れていき、あるいはまた風評により平気で傷つけるようなことも行うようになっている。
 あのときの思いを忘れないでいるために、この本はもっと役立つのではないかと思っている。
 ただ、この本は地震と津波という、初期の大きな問題に終始している。その疵ももちろん癒えていない東北の現状があるのだが、さらにまた、福島の原子力発電所の漏らし続ける放射能の問題がほかにある。その点は、この本をまとめる時点ではまだこれほどのものになるとは思えなかったのか、情報がなかったのか、扱いが薄い。
 そして、まだどこか、全般的に、抽象的である。
 被災者は、具体的な日常を生きていかなくてはならない。「頑張れ」の言葉は控えたとしても、依然として私たちが考えているのは、「頑張れ」程度の精神論でしかない。
 この本で、課題が解決に向かっているのではない。しかしながら、何かしら力にはなるだろう。私たち一人一人が、ここから与えられるパワーにより、より具体的に、そして放射能と闘う人々を助けるべく、動き始めることは十分可能だろうと思うし、実現しなければならないと強く願う。
 副題にあるように、「3.11 世界中が祈りはじめた日」だったのだ。まだそれは、スタートでしかなかったのだ。見えないゴールに向けて歩み、支えることは、今も当然続いている。祈ることしかできない中で、私はその祈りを続けることもまた力になると考えている。それは自己満足ではない。祈り続けなければならないという意味でもある。少なくとも、祈るところからは、傷ついた人を虐げるような行為はないだろうと信じるからだ。私のような者にはそれがあるかもしれないけれども……。




Takapan
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