本

『キリスト者の完全』

ホンとの本

『キリスト者の完全』
ジョン・ウエスレー
藤本満翻訳
インマヌエルeブックス
\900
2015.6.

 ウェスレーの厳しい信仰生活への指針が綴られた著作。2006年に発行された教団の書籍が、amazonの電子書籍として、豊富な注釈入りで提供された。かなり詳しい注釈で、当初ずいぶんなページ数があるなと思われたが、本文はその半分ほどではなかったかと思われる。しかしこうた18世紀の書物には味がある。出版するということが、今とは桁違いのものとして成立していた時代である。短い中に凝縮されたという味もあるだろう。だらだらと記すわけにはゆかなかったのだ。
 その要求は高い。また、メソジストというのが、あまりにも杓子定規であったという意味の悪口であることを鑑みても、なるほどその通りだと言わんばかりの内容である。こういうものを、ひとの噂ばかりでなく、直に触れてみることは貴重な体験となる。昔の人の息吹を肌で感じることができる。言葉は、翻訳もされるし、文化的な背景も異なる場合があるとはいえ、その他のメディアに比べて保存性が高く、想像力さえいくらか働かせれば、実に有意義な経験を得ることができる。
 いやあ、やはり昔の人は偉い。しかしまた、これが出されたということは、現実にはこのようではなかった、ということでもあるだろうが、人々のあり方はそう変わっていないということも推測される。ならばまた、聖書時代にしても、あれだけ書簡で勧めがなされ指示が出されているということは、人々の生活や信仰はそれほど褒められたものではなかった、ということの裏返しでもあると言えるだろう。
 自分のことを棚に上げて、そのように言うのはよろしくないが。
 さて、ウェスレーについての研究は、おそらくその信仰を受け継ぐ教団の中の神学者や牧師などが取り組んでいるというところが中心だろうか。私は電子書籍で読んだが、カスタマーレビューはきっと身内の人の声が多いのだろうと予想されるほどに絶賛であった。それはそれで悪くない。読まれるだけの価値がある本だと思うし、読んで私たちも規律を改めなければならないとも思う。自堕落というのは、いつの間にか、少しずつそうなっていくのであって、いきなり飛び降りるものではないが、それだからまた、気づくことなく、はっと気づくと愕然とすることになる。いや、気づくだけまだいい。気づかないままに、というのが実情であろう。私たちはこのように、ピシッとした精神の書物に、ときおり触れる必要がある。その意味で、せっかくのレビューも、「読みやすい」「分かりやすい」という抽象的なぼかしたものばかりで(2015年現在)、内容に触れたものがひとつもないというのは、ある意味で残念なことである。中に書いてある重要なことは何か、問題点は何か、そんなことには誰ひとり触れていない。読んで、それで自分がどのように感じたか、変わったか、それにも言及がない。ここが、私は一番の問題だと思う。聖書はよいよ、読んでください、そう言うのはたやすいが、聖書を読んで自分がどう変わったか、変えられたか、キリストに出会ってどうなったか、そこがなければ、実のところ中身がないことになりかねない。
 その意味で、私もここでは、中身に触れていないわけで、同罪でもあるとは思うが、誤解されやすいのが、キリスト者がきよめにより罪を犯さないようになる、というウェスレーの強い主張であろうか。これは確かに誤解を招く表現であることは間違いない。ある意味ではそうだと言えても、ある意味ではそうだと言ってはならない、というところがおそらく妥当な評価であろうからだ。しかし、パウロも言うが、どうせ人間なんて、などと嘯いて自堕落な生活を送ることを認めるわけにはどうしてもいかなかった、それもまた真理なのである。ウェスレーの言い回しにたとえ問題があったとしても、だからと言って、それを非難する資格は、私たちにはないのである。そうありたい、そう願いたいと祈ることを、私たちは信仰生活として、ここから始まることが、求められているのではないだろうか。達観して、人間ってものはねぇ、などと嘯くよりは。
 ホーリネスの信仰は、もっと尊重して然るべきだと思う。
 ところで、電子書籍の発行は2013年とあるから、amazonでの取扱は、またしばらく経ってからということだろう。このあたり、業界のルールやしくみというのが、私にはまだよく分からない。




Takapan
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