本

『定本 オサムシに伝えて』

ホンとの本

『定本 オサムシに伝えて』
手塚るみ子
立東舎文庫
\900+
2017.2.

 1989年2月9日、今の時代の感覚からすればわずか60歳で、マンガを文化にしたとも言える手塚治虫が亡くなった。ここではマンガの「神様」だとは一応告げないことにする。巷では平成にあった。1993年、そのお嬢さんであるるみ子さんが、この本を出版した。申し訳ないことに、その時にはこの本を読んでおらず、知らなかったのも事実である。それが2017年2月、少し増補して改めてこの本が文庫として出たことで、すぐに購入し、読んで、そして泣いた。
 父との関わりをエッセイの形で綴り、並べられていくと、さながらひとつの家族小説が出来上がるように見えた。娘としての視点からその心を存分に描き、そこから父・手塚治虫の姿が伝えられていくことにもなっている。娘という定点観測が延々と続くので、ひとたび共感できると、最後までその視点で読み通すことができる。長さの定まったエッセイの連続でありつつ、1つの小説のように読めるというのは、そういう意味である。
 物語は、自分の幼い頃に始まり、だんだんと、時は1989年2月に近づいていく。すると時間の流れが突如ゆっくりになる。読む方も、だんだんと心の準備をしなければならなくなる。つまり覚悟ができてくる。終わりの百頁がそのことに費やされていた。癌であることを自分が知らされていなかった頃のことを、どこか客観的に描くのは難しいだろうと思う。父の容貌が変わっていく。やがて知らされて、娘としての意識が変わる。危機感が募る。父の仕事のことは全く書かない。いったい、マンガそのものを話題にしない手塚治虫論など、あっただろうか。だが読者は知っている。この背後でどんな仕事をしていたか。眠りの時間もないのではないかと思われるほど、原稿を描き続けていた。描くためにのみ生まれてきたような人。走り抜けた時代を、私たちは後から追い続けるが、それでも追いつかないような存在。その父が、昏睡状態となり、意思疎通できなくなる。そこからも呼びかけ、通い詰め、どんな対応をしてもらっていたかを描き、また見舞客の様子も知らせる。どんな反応を父がしていたか、できなかったか、「クーゥゥ」などというオノマトペで、それを描く。そして、臨終のとき、どのようであったのか。また、その後、病院から出て行くときの自分たちの行動心理と環境をも詳細に記す。いったい、一人のひとの死を、これほどまでに克明に描写した文章が、かつてあっただろうか、と私は思った。
 これは、福音書の流れと似ている。教会では春に、十字架と復活を特に覚える時期を迎える。受難週はイースターまでの一週間であるが、その前に、レントという、40日余りの期間に入ることで、その意思を表すことがある。キリスト者は、この期間の先に何があるかを当然知っている。結末を知ってはいるものの、覚悟しつつ読み進んでいく気持ちで聖書に向かうことになる。そして、その中から何かを教えられていく。自らを省み、力を与えられていくのである。
 手塚るみ子さん。この本が出たあたりで計算すると、この7年間、一日平均14ほどのツイートを発信し続けていることになる。常々、目の付け所がすばらしいと思っていたが、それにも増して、この本を読み、改めて実に文章が巧いと気づかされた。見事な文章である。いくら速く読んでも全部頭に入ってくる。それでいて、言わずして心を存分に伝えるという業をもち、文章末の後の余韻をも味わわせてくれる。こんなふうに書けたらいいなぁと私は憧れさえ抱く。
 そして、桐木憲一さんの表紙が、実に可愛い。




Takapan
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