本

『思い起こせ、キリストの真実を(上)』

ホンとの本

『思い起こせ、キリストの真実を(上)』
加藤常昭編
教文館
\1900+
1999.4.

 加藤常昭氏は元牧師であるが、神学者として、日本のキリスト教界における「説教」というものに重い使命を抱いて歩んで来た。ドイツ語圏の説教を基本としており、好き嫌いはあるかもしれないが、きっちりと説教をするということ、神のことばを説き明かすということで、私はたいそう敬服し、学ばせて戴いている。そのドイツの友人や師という方々の古い説教や牧会についての本も、探して読んだ。日本でいえば、明治から大正の期に、知識者や学生たちに大きく刺激を与えた本がたくさんあるが、そういうものにも似た、ひとつの権威と構築物とを垣間見るようであった。
 説教塾と称する、説教を学び合うグループを主宰する立場で、多くの弟子を育てている。弟子という言い方が不適切かもしれないが、そこから説教というものを真摯に考え、神のことばを宣教していく牧師が現れていくことは、間違いなく望ましいことである。福音宣教において、説教という命の部分を高め合う機会をつくり、また互いにアドバイスしていく。こうした刺激なしに、お山の大将でわがままになっていくような牧師も、かつてはわりといたかもしれない。説教学として学び、適用していくことについて、私たちはもっと謙虚でありたい。信徒一般もまた、説教の成り立ちや語る側の学びを知ることで、また聞き方というものも育つかもしれない。
 キリストが真実であること、それを証しするような説教を、説教塾関係の牧師たちが持ち寄り、ここにひとつの成熟した作品をつくりだした。これには上下巻があるが、さしあたり上巻をここにお勧めする。掲載順は、恣意的でないように、説き明かすための聖書箇所が聖書の中で並んでいる順に揃えられている。ここでは創世記、そしてその後はマタイ伝から新約聖書に入る。上巻は、ヨハネ伝のところまでで終わることになる。もちろん福音書でなくても、キリストは描かれているから、下巻が楽しみであるが、やはり福音書の各場面におけるキリストというのは、地上生涯のキリストということで、生き生きとその働きを語るに相応しい箇所であると言えるだろう。
 キリストの真実というとき、その「真実」は、新約聖書においては、「真理」であるのだろうか。それとも「信仰」であるのだろうか。どちらもありうるのだ。道なり真理なりと称したキリストの真理であるのか、あるいはこの世界の真理であるのか、ギリシア語の真理の語感のように、隠れていたものが露わになること、つまりまた黙示のようなものを含むのか、真理だけでこれだけの連想が働く。これが信仰のほうになると、真実または信実のように書くこともあり、私たち人間の側から神を見上げれば信仰と称するが、同じギリシア語が、イエス・キリストの信仰のように書かれてある場合、キリストのほうが人間を信頼し、あるいは人間にその真心を尽くすというようなニュアンスを受け取ることもできる。こうして、日本語でタイトルに示された「真実」という言葉は、実に豊かなイメージを背後に有していると言えるものである。説教者も、こうした様々な角度からこのテーマでキリストと聖書に向き合い、説教を生み出している。だから、決して偏った説教とはならず、様々な面から神が呼びかけ語りかけた結果の実りとして、豊かな説教をここに実らせてくれたと感じている。
 私は可能な限り、一日にひとつの説教文を読むように心がけている。それは何も説教塾の説教には限らないが、やはり心の琴線に触れることの多いのは、説教塾関係のものであるようだ。私もまた、これらの説き明かしを通じて、キリストの真実に触れる。日曜日の礼拝でももちろんそれは可能だが、日々恵まれているというのは、この上ない喜びである。




Takapan
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