本

『「お墓」の誕生』

ホンとの本

『「お墓」の誕生』
岩田重則
岩波新書1054
\735
2006.11

 最近の「お墓」は、いわゆる洋式が増えてきているという。霊園の整然と整った墓地である。だが、この近くにも、山の中に入れば、区域の集落の墓地がまとまっているし、ずいぶんと古い、いわゆる「有像舟形」なる墓もある。あまりに古すぎて、転がして集められていたりもする。
 私たちは、ご先祖様、などと言いつつ墓石に手を合わせるように仕向けられているが、数十年でもう中の遺骨については、土に返されるともいう。それに、私たちが手を合わせているのは、その遺骨に対してではなく、むしろ文字が刻まれた石に対してであろう。事実、遺体が土葬されていた時代には、その遺体の上に何かが建てられるということはあまりなく、そこから離れた場所に、祈念碑的に墓石が組まれるなどしていた、ということも、この本から明らかになる。
 汗水流した、フィールドワークによって成った書である。山間部あるいは臨海地域あるいは島などにおいては、都会で標準とされている霊園とは異なる、古来の風習に従っているところが少なくないことが分かる。それは、仏教の要素すらない、「弔い」が現れている。それを調査することによって、いつどのようにして「墓石」を拝む今のような姿が始まったのか、そしてその「墓石」の意味は何なのか、考察しようというのである。
 そのためには、民俗学の巨匠、柳田國男ですら、先入観に惑わされて見落としていることがある、という指摘をするのも、厭わない。
 最後に、特殊な墓について論じている。夭折者、子どもの墓については、通常と違うあり方をしているというのである。そして、戦死者の墓が比較してある。特攻に代表されるように、戦死者の遺骨は、墓の中に納められていないのが通例である。しかも、家の墓地においては、そのひとりひとりの名を以て、ひとつの墓石が調えられている。家の墓よりも目立つところに。その同一人物が、また国家によっても墓として祀られている。
 靖国神社である。
 そこにおいては、ひとりひとりとしての価値はない。二百何万とひとからげになった上に、たとえ戦死者の家族が反対したにせよ、強制的に数えられて祀らなければ気が済まないというものである。この靖国神社については、批判する人も多いが、その批判についても、墓を「お墓」に形作ってきた近現代の特殊な歴史を踏まえることなく、今のような「お墓」が通常のあり方だと前提した上で、おかしいとか何とか言っても、埒があかない、ということが、この本では提案されている。
 靖国神社は、墓ではない。それから、御霊信仰の中に位置づけることはできない。御霊信仰だとすると、祟りを恐れる敵側が祀るはずなのだが、靖国神社はそうではない。たんなる自作自演の祀り方なのである。
 著者は、本を締めくくるにあたって、強く語っている。




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