本

『僕はパパを殺すことに決めた』

ホンとの本

『僕はパパを殺すことに決めた』
草薙厚子
講談社
\1575
2007.5

 2006年6月20日早朝、奈良県の新興住宅地で、火災が発生した。焼け跡から母親と子どもが二人、遺体で発見されたが、高校生の長男の行方が分からなかった。
 2日後、彼は、京都市の民家で寝呆けているところを発見される。
 彼が、自宅に放火したのだった。
 少年犯罪という目が、社会でどこか好奇に見られる風潮もあったが、さらにこの彼が、奈良一のエリート校生であったこと、そして亡くなった3人が彼と直接の血のつながりがなかったということなどから、当時のワイドショーや週刊誌が、大きく取り上げたことは、よく覚えている。
 ああだこうだと推測が走り回ったが、実のところ全くの嘘も一人歩きしていたという。しかし、その当時のコメンテーターなどの発言を大きく撤回したり修正したりというふうなことを、番組が行ったわけではない。
 これでは、亡くなった方の名誉が回復されない。ルポライターの思いは、熱くなった。
 どんな取材にも口を閉ざした遺族の方々が、このライターにだけは、心を開いた。その訳は、やはり読んでいくと分かるような気がした。また、学校名をはじめ、被害者の実名についても、むしろ必要だということで表面に出していることに加え、様々な調書をちりばめてこのような本の形にするということは、普通ありえないことのようにさえ思えた。少年事件で、これほどの内実が晒されるというのは、なかなか考えられないからである。
 いろいろな批判もあるだろう。その一つに、この少年を「広汎性発達障害」であろうと断じていることがある。病名を出す上では、診断が不可欠であるが、それが十分でないことは、もっと慎重に扱ってほしかったと思う。傍証はよしとしても、たとえば同じ病名に診断されている人がどう感じるかということへの配慮が、十分であったとはいえない。
 私の身近にもいる。やはり私の目から見れば、いくつかの病理をもち、そのために理解しがたい行動をとる人が。しかし、私はその人をいくらかの病名の内に推測することはあっても、それを公表することは、できないものである。
 それでも、心ある人が、こうした病気に対する理解を示すことにつながるのであれば、これも一つの挑戦であっただろう。恐れるのは、その逆だからである。
 個人的なことを言えば、少年が侵入していた京都の民家は、私が京都で勤務していた教室のすぐ横といってよいほどのところである。奈良の地理も少し分かるし、その意味でも、同じ空気を吸う者の事件として、どこか心に迫るようなものを、直感的に覚えていた。
 だが、あの父親がこれほどまでの暴力あるいは虐待をしていたとは、思いもよらなかった。そして私は、その父親の親にも、それがあったということも、分かってきた。さらに、そのご本人たちは、さすがにこれだけの事件になって、自分を省みることをやっているのはやっているが、まだ自分の姿が見えていないように、その供述調書における発言からうかがえてしまうということも、分かってきた。
 他人事ではない。私もまた、自己評価は実に甘いものである。人間とは、そういうものではあるまいか。
 犠牲者の方々、とくにその子どもたちのことを、ずっと考えていてみたいと思った。




Takapan
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