本

『宗像大社・古代祭祀の原風景』

ホンとの本

『宗像大社・古代祭祀の原風景』
正木晃
NHKブックス1119
\1018
2008.8

 仏教の方の専門であるようだから、却って、神道関係の詳細な資料とその読み下し文のようなものを考慮しなくて済んだ。とはいえ、現地を訪ねてのこと細かい研究である。図版や資料の数々が、生き生きとしている。たんに理論ばかりで説明しようというものではない。巻末の、夢枕獏氏との対談も実に楽しげである。
 宗像大社は大きな神社である。と同時に、その沖には、古代遺跡の宝庫でもある、謎の沖ノ島が控えている。ここは、遺跡としても一級品を多く生んだのである。
 とはいえ、この沖ノ島の魅力について、関心のない方や遠方の方々は、伝え聞くことすらなかったかもしれない。ここは、今なお祭祀の上で特色があり、その祭儀は古に長く続いていた記録と共に、絶海の孤島であるせいか、実にたくさんの国宝級の考古物を産出しており、今なお宗像大社にとり、秘儀的な営みで古代の拝礼を行っているという、歴史的にも非常に重要な島なのである。かつて梅原猛がそのことに気づいて話題にしたことがあった。因幡の白ウサギの隠岐島とはこの沖ノ島を指すとしているのである。
 そこに、ニホンアシカの骨が多数見つかっていることについては、私も知らなかった。何のためなのか、それをこの本が解き明かしたとは言えないかもしれない。だが、現地における研究から、それの可能性についていくつかの説にまとめることができている。
 たしかに、そう簡単に片が付くことはあるまい。だが、邪馬台国の問題にしても、その資料の中にいい加減なところがあるなどという指摘を踏まえていて、この西日本の遺跡や遺物から、日本の古代国家における勢力とその関係が、浮き彫りになってくる、そうしたカギになる場所として、この沖ノ島が取り扱われている。
 宗像の地元は、最近は新興住宅地であるとか、3号線沿いに大型店が進出しきりとか、新たな時代を見せているようであるが、この宗像大社の存在はたしかに大きい。交通安全で名を馳せているのは、京都の長岡天神などと同様であるが、とにかくこちらは「大社」である。遣唐使の時代、倭寇の時代、そして元寇の時代、何かしら役割があったことだろう。その後明治期以来の国家神道の影響もあるだろうが、宗像大社とともに、この沖ノ島も重要なものと考えられていたはずだ。その遺跡の奇跡的な発掘のことも含め、まだまだ謎の多い島である。
 九州はもちろん、出雲、そして壱岐対馬や朝鮮から見ても、ちょうど中間に位置する孤島。そしてそこにある巨石群は宗像大社のほうを臨んでいる。この島には禊をせずしては入れない。
 日本古代の息を長く保ったこの島のあり方は、元来の日本思想を明らかにするための何かを示していることだろう。それは、キリスト教を排斥するために仏教を立て、その仏教を排除しようと神道を打ち立てたというふうな、きわめて恣意的なものではなく、日本人の心というものを薫らせていることだろう。むしろこうした研究を疎かにして、今なお恣意的に「日本古来」とか「伝統」とかいう言葉を操ろうとする勢力に対して、こうした「原風景」をきっちり学ばせてやりたいとさえ思う。




Takapan
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