本

『モンスターマザー』

ホンとの本

『モンスターマザー』
石川結貴
光文社
\1365
2007.11

 世界は「わたし」で回っている――そういうサブタイトルもまた挑発的である。
 家族の問題を、さまざまな現場の取材によって書き下ろしていくライターの手による、レポートと意見とからなる本である。
 母親が、実にわがままになった。本の表紙を見ると、そのように読める。ときおりそのようなことが週刊誌を賑わす。男性週刊誌も悪口を言うが、女性週刊誌はかなりどぎつい非難の仕方をすることがある。そんなにいじめなくてもいいのでは、と私は見ていたが、その非難を受けなければならないグループは自分のことだとは感じず、非難を受ける必要のない母親たちが、自分はだめだと鬱的になっていく。えてして世の中の構図であり、宿命でもある。誠実な人が、追いつめられていく現実がある。
 かなり極端な例が並ぶせいか、世の中の母親がみんなそんななのか、と思われても困るのだが、たしかにその極端な例は、ある種の世の流れというものを先取りしている、あるいは顕著にそれを表している、というのも嘘ではない。ここに例を挙げることは差し控えるが、ヤンママなどと呼ばれたくらいならまだよくて、そうとう歪んだ状況は、たしかにある。
 この本ではあまり強調されていないが、授業参観のときのお喋りの様子を見ると、子どもがよくぞ授業に集中しているものだと子どもに拍手を送りたくなるほどだ。幼児を虫歯にする母親の現実たるや、もう明らかにしたくないほどのものもある。いや、私もそうしたことをここで逐一転がす予定もない。
 はたしてそれが「モンスター」であるのか。それはセンセーショナルな販売目的の言葉ではないか、と私は思う。そのように呼ぶこと自体、筆者は望んでいるのだろうか。呼ばれた側の痛みというものを、何とも思わないはずはないのだが。
 状況は、たんに最近ということではなく、たとえば十年程度の単位で大きく変わってきているという。一時は、かんばりすぎないようにとアドバイスされていた母親たちが、今はもう少し頑張れと言いたくなるとも言う。もはや一律に何をどうと述べることもできなくなった時代なのかもしれないが、筆者は最後に意見をまとめて言うところでも、母親たちを叱咤激励している。だがそれさえも、今のママさんたちは、聞き入れようとしないのかもしれない。
 うんと母親たちを応援しようとべったりついてきている筆者ではあるけれども、本の最後の三行でちらりと触れたように、子どもを主体に立てることは、ついにこの本ではしてくれなかった。母親たちのことを取り上げるのが目的であるからそれはそれでよいのだが、こうした母親たちの中から立ち上がっていく子どもたちが、やがて次の母親たちとなってゆくのだ。
 教育機関という意味ではなく、広く教育が、こういうところにまで親たちを変えていったのかもしれない。だが、生まれたのがモンスターであった、というふうな片づけ方をすることについては、私は賛成できない。「おまえの母さん、モンスター」と呼ばれる子どもたちの心も、傷つくであろうから。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system