本

『マニ教』

ホンとの本

『マニ教』
青木健
講談社選書メチエ485
\1890
2010.11.

 クリスチャンの間では、「マニ教」とくればかなり有名である。4〜5世紀の偉大な思想家であるアウグスティヌスが、放蕩の後入信した宗教だからだ。その後、子どもたちの歌う歌に呼び起こされて、聖書に触れ、イエス・キリストとの出会いに至る。その後、大司教となり、ローマ帝国の最後を看取るようにして世を去ったという。母モニカの熱心な祈りは有名である。このアウグスティヌスが、かつて在籍したマニ教を徹底的に批判している文書が残っているものだから、マニ教が有名なのである。
 ところでこの本は、原語に近い発音として、「マーニー教」だとして本文で通している。本のタイトルだけは、通常呼ばれている「マニ教」にしている、というから、少しばかり策略的であるが、成功していると言えるだろう。
 マーニー教は、キリスト教をも素材にして、三世紀にマーニー・ハイイェーによって創られた宗教であることがはっきりしている。著者はこの宗教の特徴として、最初に「人工の宗教」「書物中心の宗教」「神話的表象の宗教」を挙げる。貴族の末裔であるマーニーが、宗教的な生活環境の中で、土着性にとらわれず改心して入信することが可能な宗教を発案し、それを書物という形で明確な教義を提示し、伝道を進めていくというものであった。マーニー自身政治的に失敗し、いわば殉教するようなことになるのだが、その後引き継がれたこの教団は、ゾロアスター教との対決があり、キリスト教とも勢力を争い、あわよくばローマ帝国の国教になりえたかもしれないほどの実力を呈したという。歴史にもしもはないというが、少しだけ歴史がそのとき変わっていたら、世界宗教として今なお名を馳せていたかもしれない、そんな宗教であったそうである。
 残念ながら、政治情勢の中で、このマーニー教は不運であった。書物の宗教であるというのは、マーニーが独自に文字を作ったなどの背景をもつが、さらにイスラム教の起こりに言語的不利な状況に追い込まれることになる。西へと勢力を伸ばして中国にも入っていったが、ユダヤや西アジアの古代宗教を背景に築き上げられた神々の体系や救済の理論は文化の異なる中国には受け容れられにくく、根付くことがないままに滅亡に至ることになる。17世紀に入ろうかというあたりで、この世界から実質的に消滅してしまった。
 書物の宗教であることの皮肉かもしれないが、その書物は殆ど散逸してしまい、資料として十分なものが遺されていない。アウグスティヌスやイスラムの資料など、論敵の文献に引用されていることが多いものだから、どうしても立場の悪い書かれ方がなされている。この著者が最後に記していたが、実に日本語の研究文献としては、4冊しか知らないそうである。
 その意味で、この本の存在意義は大きい。日本語の文献で、これほどマーニー教そのものの立場に立って紹介してくれる文献は、2010年末現在、他に存在しないというのである。
 様々な宗教をつぎはぎしてこしらえたようなところもある。そういう姿勢だと、その本家たちによって疎んじられることは当然であろう。現代でも、このような試みをなしている宗教が存在しないわけではない。逆に現代では、信教の自由だという特権を徳川の印籠のように掲げれば、誰も手出しをできなくなるものだから、実に好き勝手に「霊」による発言を繰り返している、書物の宗教が可能なのである。適切に法的な制約も必要ではないかと思われるが、そうした動きには現実的に慎重であるようだ。
 なお、中国には唐の時代、ネストリウス派のキリスト教が入ってきて、景教としてしばし保護されていたことがある。そこから、その時期に中国から日本へ、そのキリスト教が入っていたのではないかと考える研究者がいる。1549年にヨーロッパ経由でキリスト教が入ってきたという常識はいかにも西洋的であり単純すぎる故に、中国経由でのこの伝来はさもありなんと思わせるが、習俗などからの推測が多く、確たる証拠があると言えるものではないようだ。もしかすると、マーニー教も、日本に何らかの形で伝わるような機会がなかっただろうか。公的にはないとしても、民的に何かあったかもしれない、というのはもちろん想像であり、いわば小説的ではあるのだが、マーニー教自体日本では知られておらず研究されていないのだから、習俗の面からも、マーニー教との関連が問われるようなことが、今後起こるかもしれない。そうしたきっかけとして、この本は役立てられるのかもしれない。
 いやはや、とにかく画期的な本に触れるというのは楽しい。刺激がある。誰も知らないことを紹介するというのは、一種研究者の憧れでもあるだろう。西欧のキリスト教の側からだけの世界史ではなく、当事者からの眼差しで世界を捉えていく努力を惜しんではならないと思わされる。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system