本

『人生いつも迷い道』

ホンとの本

『人生いつも迷い道』
上林順一郎
コイノニア社
\1600+
2007.3.

 早稲田教会を牧会していた時期に、上林順一郎牧師が月報に記したコラムを一冊の本にまとめたものである。それを基本的に改めず、そのままに、ただ読者の便を図って順序については編集して配置したということらしい。従って、時期的にはばらばらに並ぶこともあるが、読者は内容的には整然とした思いで触れていくことができる。ただ、扱われている事件やニュースがその時々のものであるために、20年以上の開きがあり、その点だけは戸惑う読者がいるかもしれない。それらを見てきた者としては、過去のことという意味でひとくくりになるわけで、さして違和感は覚えず、そんなことがあった、あのときはこうだった、という程度で味わっていくことができる。
 こうした書を手にするときの私の基準は、まずは著者が福音を踏まえているかどうかである。もちろん牧師だからそれが当然だろうという意見もあろうが、私に言わせれば必ずしもそうではない。いつの間にか自己主張が先頭に立つタイプの人もいるし、中には尤もらしいことを書いてはいるが、本人が神と交わっていないと見られる場合もあるからだ。結局、神からことばを聞く人であるかどうか、という点が大きいわけで、神を利用するようなタイプの人でないかどうかだけ気をつければよいであろう。
 その点、本書は問題がない。随所でドキッとするような視点をも提供してくれるというのが私にとってはありがたく。そうか、神はそのように見ておられるのだ、と、新鮮な視点を教えて戴けれると、本当にうれしく思う。見開きで完結するコラムの集まりであるため、どこからでもいつちょっとした時間のすき間にでも読むことができるので、読みやすいのであるが、あまりどんどん読み進まず、いくつかのものをゆっくりとひとつずつ味わうのが、適切な読み方ではないかな、と私は思う。
 著者は、言葉を大切にしている。その言葉の原典での意味やニュアンスというものを大切にするのはもちろんであるが、日本語の意味や漢字の意味など、その言葉が含み持つものを見つめてそれを取り上げつつ、いまのこの時代や出来事の中に適用しようとする。言葉には、先人の知恵や信仰がこめられているので、言葉ひとつの扱い方により、自分ひとりのひとりよがりの思いつきにもなれば、人類共通の大きな財産として、また心のつながりとして、味わっていくことにもなるのである。どうせ読むならば、そのように人々と、つまり現代を生きる仲間たちと、それから過去を生きた先輩たち、知恵者たちとつながりながら大きないのちの歴史の流れの中に身をおいて、自分がそこにいるかけがえのない一人であるのだという喜びを以て、読書をしていけたらよいと常々思う。
 本書は、そうした人の「心」を大切にしているように見受けられる。迷いながら、という思いをこめたタイトルで謙遜に主張しているが、どうしてどうして、そこには主が灯火となって道を導いてくれるから、ほんとうには迷うことはないのだ、という強いメッセージがこめられていることくらいは、鈍い私にも分かる。人の目にはよく分からない道も、主の目にはまっすぐではっきりとしている。迷い道もすべて神の下には幸いな道であるという信と共に、本書を楽しんでいくことは、しばしの喜びとなるものであった。
 いつも言うが、コイノニア社がこうした本を遺してなくなってしまったことは、たいへん惜しまれる。




Takapan
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