本

『暮らしの哲学』

ホンとの本

『暮らしの哲学』
池田晶子
毎日新聞社
\1399
2007.6

 2月に癌のため急逝した、哲学の徒のエッセイ。著者は、哲学というものを、つまりは知を愛し、自分で考えることの重要さを、訴えることに人生を賭けた。
 著者自身については、検索をすればいくらでも情報が手に入るので、お調べ戴きたい。哲学エッセイというジャンルを確立した功績は大きいと私は考える。なぜなら、私がそれをやりたかったからだ。
 ただし、ソクラテス的生き方に範を覚え、酒の中に思索の喜びを覚える彼女は、当然かもしれないが、神に従うという発想をすることがなく、あくまでも人間という立場からのみ、考えられる限りのあらゆる思考を試みようとしたのかもしれない。しかし、それは筋が通っている。哲学としては、十分それらしい生き方をしてきたのかもしれない。
 この本は、サンデー毎日に連載されていたものである。亡くなったときまで、一年間連載され続けた。つまり、死の一年前からの文章である。
 進行性の癌だったと聞いている。もしかすると、死期を察していたのかもしれない。一年前のこの本の最初の時期から、死に対する態度が、切ないほどに貫かれている。死を見つめて生きるというのは、ソクラテスもそうだが、ハイデガーにしても、つねにそこをまるで鏡にするかのようにして、人間は生きるものだという見解を示した。哲学者として、およそ死を目の前に置かない思索はありえないとまで言ってよいのではないか。その意味で、著者は、まさに哲学者であった。
 死への思い、ときにちらりと情緒めいたものが感じられないこともなく、ほんとうに読んでいて、切なくなった。いったい、どの時点で、自分の死期を悟ったのだろう。おそらく、一年前ではなかったと思うが、こればかりは、分からない哲学とは、つねに死と対峙して生きることだ、とまで訴えたいばかりに、妙な背景説明はカットしているのだろうか。
 子ども相手にさえ、表現にこそ気を配るものの、内容においては容赦しないという著者。私も全く同意見であり、事実そのようにしている。この本の文章は、中高生にも十分読みやすいものが多い。私は個人的に、2008年春の国語の入試問題に、この本から各地で引っ張られる可能性がある、と考えている。分量的にも、内容的にも、問題に使ってみたくなる思いがする。
 いやはや、内容には関係のない話だっただろうか。
 どうぞ、自分で思索する喜びを、どなたにも感じて戴きたい。自分の一生について、考えてみたいという方にも、味わって戴きたい一冊である。




Takapan
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