本

『国語辞典の遊び方』

ホンとの本

『国語辞典の遊び方』
サンキュータツオ
角川学芸出版
\1365
2013.3.

 著者は芸人だという。しかし、日本語について学位をとっており、マスターまで持っている。その上で、博士課程を修了しているというから、大したものである。これは本格的だと言ってよい。そうした専門的な見解を得ていることを踏まえた上で、分かりやすく伝える術を知っているのだから、最強である。最初に断っていることだが、話口調でラフに記していることを了承願いたいというのも、気軽に読んで、楽しんで、そして知って、考えてほしいという願いからだ。これは喜んで受け容れようと思う。
 いや、それにしても、楽しかった。こんなに一冊が最後まで楽しいと思える本は、ざらにはない。
 基本的に、小型の国語辞典を推奨しようとしている。しかし、ある程度国語辞典を見渡している人はお分かりだろうと思うが、国語辞典はまさに千差万別、それぞれに編集方針があり、狙いも違う。どれも同じだろうと思うと、痛い目に遭う。読み込むと、こんなに面白い本はない。
 その国語辞典を、男子学生にたとえて、たとえば岩波国語辞典は「都会派インテリメガネ君」、新明解国語辞典は「マイノリティの味方!ワイルドな秀才」などと名づけ、イラストまで用意している。ほんとうにこれだけで楽しい。
 私はこの著者ほど、背景について知らないし、調べたこともない。だが、関心という点から言えば、近いものがあるし、主張したいことも似かよったところがある。だからこそ、言おうとしていることがよく分かるし共感できるのだが、また、このうちのいくつかの国語辞典を実際に持っている。また、実際に持っていなくても、書店で開くなどした経験から、この本の説明に「あるある」と思ってしまう。私が実は好きなのは、「ベネッセ表現読解国語辞典」である。その大きな特徴は、この本にもあるように、程度の差を含めた類語の使い方の差異を明確に示しているという点にある。それは、英語のロングマンなどでもなされているものだし、日本語の辞典でも、いくらか配慮した辞典がないわけではないのだが、このベネッセはそれが徹底しているといえる。ただ、私がさらにこの辞書を評価しているのは、学生たちに不足している、抽象的な概念について深く突っ込んだ解説がなされている点である。どの語も通り一遍に語義を伝えておけばよい、というのでなく、哲学的に重要な概念事項を表す言葉が、それなりに深く広く追究されているというのは、実は言葉や思想の理解のために、大切なことなのである。そこに目をつけて実践している辞書はこれまで見たことがなかった。
 それはそうと、この本のさらによいところは、辞書をけなしているところが皆無であることだ。それぞれに良いところがある、そのことに徹している。というのも、著者は結局のところ、読者に、もっと国語辞典に関心をもってほしいわけだし、もっと買ってほしいからだ。手許にいろいろ置いて見比べてほしい願いがあり、その意味でこの本は実に優れた国語辞典入門となっているわけだ。悪いところを取り上げて批判することが得策だとは思えない。いや、そもそも悪いところなど見てもいないし考えてもいないのだろうと思う。もとより完璧な国語辞典などないのだから、それぞれの特色や、編集者の熱意などをそのまま認め、紹介しておくだけで十分である。
 これは、人を見るときの優しさにも通じる。あの人はこんな悪いところがある、ということをあげつらうことは決してしない。よいところばかりを見る。そしてそれを個性として認め、どんな人でもそれに相応しい相手が見つかるだろう、親友が現れるだろう、というような気持ちが根柢に流れているはずなのだ。まさに、そのような姿勢で国語辞典を見渡し、紹介しているというのがこの本なのである。つまり、国語辞典をこよなく愛している人が、愛情たっぷりにプレゼンテーションしている様がここにあるのだ。
 話の始め方や進め方の面白さ、読者の心の捉え方も文句なしである。これは、芸人ならではのものであろう。ツカミや盛り立ては、素人には真似できない。実際大学で、辞書の編集者から指導を受けている故に、本当に背後の逸話や苦労に詳しく、それを楽しく聞かせてくれる。また、直接インタビューした様子が最後に掲載されているが、ほかではなかなか聞かれないような話だと思うし、興味深いことしきりである。
 タイトルに先立って「学校では教えてくれない!」と書いてある。だが、これはぜひ教えてほしいと思う。中学生や高校生に、必読としたいくらいだ。
 人間は言葉によって考える。考えるというのは、言葉によらないではできないことである。現代社会で自分を相手に伝えるためにも、基本は言葉を用いることになる。この言葉に無関心であることは、何ごともできないのが実情である。しかもそれは基本的に母国語を使うものだろう。つまり、国語辞典というものは、私たちの存在そのものを支える重要な基盤なのだ。もっと関心をもっていい。著者は電子辞書の良さもちゃんと認めながら、紙の辞典のすばらしさをきちんと伝えている。電子系でいいじゃんと言い足そうな昨今の若い人々からすれば、年寄りめいた古くさい考え方だと見えるかもしれないが、電子辞書というのは、自分が知りたいことを確認するという目的の下に使う前提があるのであって、言葉の海にとびこみ、教えられるという営みがない。つまり、自分の世界を広げてはくれないのである。著者はそれが分かっている。分かっていながらも、決して電子辞書を貶めるようなことはしない。そこに、著者の品格が現れている。その上で、辞典の良さをこんなにも熱く語り、勧めているのだ。
 これでは、もう国語辞典に関心をもち、もうひとつ買ってみようか、と思わないではいられないではないか。
 因みに、私からひとつアドバイス。ブックなんとかいう、今風の店でもいい、古書店に立ち寄ったら、辞書のところを眺めるといい。辞典が安く買える。特に流通系の古書店にとって、辞書は、大きく場所をとる割には買い手が少ないので、邪魔であることが多い。一定期間売れないと、値を下げるシステムの店では、ついに105円になってしまうことがよくある。私はこうして、国語辞典でも英語辞典でも、105円になったのを見つけると次々に買い漁り、職場のデスクに並べている。古語辞典などはとくに、学校を卒業すると全く要らないと思われるのか、たくさん並び、かなり実用的で新しいものが105円に成り下がる。また、もし105円にはさすがにならなくも、最低でも半額になるし、数百円で買える場合が殆どであるから、まずはそうした店で見てみて、適切なものがあったら手に入れたらいいと思う。そして、家の一部屋に一冊、へたするとトイレに一冊など置いていてもいいくらいで、どこででも手に取ることができるようにしておくと、ちょっとテレビのニュースで分からない言葉があったときに、その場で調べることができる。後で、と言わず、そのときが大切である。こうして私の家には、場所をとる辞書が何十冊あるか知れない。もしかすると三桁になるだろうか。知識に囲まれていることが快感であるというタイプの人は、きっと同じようなことをしていらっしゃることだろう。
 たしかに、実に楽しい本だった。




Takapan
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