本

『なぜ宇宙人は地球に来ない?』

ホンとの本

『なぜ宇宙人は地球に来ない?』
松尾貴史
PHP新書600
\924
2009.6

 笑う超常現象入門。著者が「キッチュ」という名でも呼ばれていたことを思うと、分かるような分からないような不思議な気持ちになる。その名そのものが、ゲテモノだとか俗悪なものだとかいう意味であるので、いわばこの本で俎に載せられている対象事態がそういうキッチュであると見られるからである。
 しかし、執筆時大学の准教授としての立場もお持ちのことであるから、たんに笑いをとるためにいい加減なことだけを言い放っているというわけでもあるまい。事実、たくさんのことをきちんと調べ、それ相応の根拠をもって愉快な言い回しで茶化しているのは確かである。無責任な批判をしているのではなく、よく読めば誠実に対処しているのがよく分かる。
 これだけオカルトものに対して批判の目を向けているゆえに、芸能界でも、けっこう目立っているらしい。しかし、まえがきでも自ら断っているように、怪しげなものをけっこう信じて趣味の域にまで達していたような経験があるからこそ、これだけのものを知り、これだけの事柄について批判の目を向けることもできるのであるというのは本当であろう。知り尽くしたからこそ、その怪しさも身にしみて分かるというのである。そして、冷静に、人々が無邪気に信じる困ったものについて、問題点を提供している。たとえば血液型についても、それが如何に許されないことであるのか、はっきり述べている。こういうところが、この本の命であると思う。
 さて、面白おかしく読めるものではあるが、私としては、当然キリスト教についてどれほどの言及がなされているか、に関心が向かう。ドラキュラの大蒜については論外であるとして、また13日の金曜日についての説明も、キリスト教とは本質的に何の関係もないから、別段気にはならなかったけれども、「十字架」という項目だけは見のがせなかった。
 それが、やはりそれ相応に調べての言及なのである。キリストが担がされたものは十字に組んであったのではないという説が取り上げられている。こうして、十字架についてもなかなか「ためになる」ことが書かれているのであるが、私が「なるほど」と思わされたところがあった。引用してみる。
「そもそも、自分達の崇める人物が、卑しい人間の扱いを受けて、二人の強盗と一緒に極刑に処せられた忌まわしさの象徴ともいえる十字架を、なぜ崇拝するに至ったのだろうか。信者の方が読まれたらお怒りを買ってしまうかもしれないが、素朴な疑問なのでご容赦願いたい。あれほど、数字の13や金曜日や蛇を忌み嫌うのに、十字架はなぜ嫌われずに象徴と化したのか、それが不思議なのである」(263-4頁)
 この疑問は鋭い。信者も容易には答えられないかもしれないが、救いの体験のある信者は相応に答えられることだろう。それが救いだからだ。しかし、十字架に焦点を当てたのは、福音書とそしてパウロの故でもある。新約聖書あるいはそれに相応する文書に頼らなかった最初の時代は、この著者の案じたごとく、忌まわしさの象徴であったのかもしれない。当初は、イエスの弟子たる共同体の象徴は、魚であった。後にローマ帝国でキリスト教が認められていくその中で、十字架が中心に掲げられるように定まっていくのであって、たしかになぜ崇拝するのかという疑問は、やはり尤もなことであると言うべきなのだろうと思う。
 こうして、著者の思惑とは別に、こちらの関心だけで読んでしまったわけだが、何らかの深い考えをもって研究している人には、それなりに的確な眼差しが与えられるものだということも逆に学んだ。きっと、他の記述についても、似たことが起こっているのだろう。芸能人のトークやバラエティ番組で、安易に何でも「信じる」ことが推奨されているような危ない空気に警鐘を鳴らす意図も著者はもっているようだが、その意味では背後で応援したい気持ちである。どれほど危険な害毒をテレビが垂れ流しているか、制作者もまた気づいていないだろうことを思うと、もっと然るべき立場の人や団体が、はっきりとそれを教えるべく放送業界に言明しなければならない必要をも覚えるものである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system