本

『危険な学校』

ホンとの本

『危険な学校』
畑村洋太郎
潮出版社
\1575
2011.4.

 著者が「はじめに」で断っているように、この本はいじめや教育現場の問題を論じたものではない。「わが子を学校で死なせないために」という少しショッキングなサブタイトルは、著者の好みでなく販売戦略のように思えてならないのだが、実のところどうなのか、そんなことはたぶんどうでもいい。これは学校における「事故」を扱ったものである。いたましい事故が時折報道される。実のところ、それはごくわずかな例であるのだが、その事故の背景にはその寸前の事故や、ヒヤリとするようなことがたくさん隠れていることは間違いない。死亡事故は報道されるが、骨折程度では報道されないと見たほうがいい。
 職業柄、また子育てをしている上で、子どもの事故の報道には敏感である。電子形式でのスクラップも怠りない。もちろん、記憶も生々しい。この本では、天窓からの墜落・校門圧死事件・プール事故・自転車加害事故・遊具死亡事故と、いずれもどうしたものかと悲しく、また不安に感じたものだった。そういう思いが、我が子に関する事故においても、二度と起こらないための提案を中学校にしたのだったが、校長も教頭も、たんにもみ消すことしか考えず、もちろん謝罪もなかった。実は、この本でこの理由がよく分かったのである。それは、学校で事故が起こった場合、校長や教頭といった経営者(非営利組織であっても経営は経営である)の頭にあることは、責任問題だけであるということがはっきり指摘されていることによる。彼らは、とにかく誰が悪いかということばかり考えるので、自分たちに責任が及ばないようにあらゆる手段を講じることを優先する。もがきながらもとにかくその点に全力を注ぐ。
 このように、この本に書いてあることは、実際に学校の事故について立ち入ったことのある私の目から見ても、実に信用のおける内容であることが分かる。
 以前、このコーナーで、失敗学の本を取り上げたことがある。そしてその時にもこの私の体験から裏打ちされた事柄に触れていたのであるが、その本は非常に印象的であったから、今回も、この著者の名を見てすぐさま手に取った次第である。
 いや、もうひとつ理由がある。著者の畑村洋太郎氏は、このたび東北を中心とする大震災において、取り返しのつかない失敗をしでかしてしまった福島第一原発の事故調査・検証委員会のトップに任じられたのである。遅すぎた観はあるが、今後このような事故を起こさないように、また起こしてもダメージが最小に食い止められるように対処をしたいというのは、実に賢明な判断であったと私は評価していた。しかも、畑村氏は、政府関係者とのコンタクトがあるというわけではない。つまり、仲間内で形だけ取り繕うというのではなくて、真剣に事故を考えようという、当然だがこれまで政府においてはなかなかなかった姿勢を見せたという点が、取り組みへの真摯な姿勢を示していると評価したのだ。
 となると、この本における手法やメッセージが、福島の原発に対しても使われてくることは当然である。トップがこうだが、その他のメンバーがなあなあでまた潰しにかかったら、もうだめである。私は予告する。この畑村氏の思想が福島原発について貫かれ、現実の政策がその通りに動いていったならば、日本は再生する、と。そしてその逆に、たとえばあまりの不真面目さに畑村氏がトップから降りるような事態になったり、この本にあるような立場が歪められて動くようなことになつたら、日本はもう滅亡する、と。
 失敗学を提唱していた著者は、その後進化している。今は「危険学」というのだそうだ。いっそうダイナミックになってきた。これは科学的な実験と調査、そして原理的な徹底的な思索、とくに子どもたちのことを考えるとなると、将来の社会の姿にまで目をちゃんと置いて取り組んでいる学であり、実践である。事故をゼロにします、などという夢のような聞こえのよいことを言う人ではない。リスクはあるが、ダメージを最小にするための、ある意味でごくごく当たり前の方法を提唱するだけである。それは、利害や打算の下にではなく、真摯に危険そのものと子どもたちの教育を考えてのものである。そしてこれは、たとえば教師に危険管理のすべてを押しつけるようなことはしない。冷静に分かっているのだ。教育者は危険についてのプロではない、と。だからもっと業者が、保護者、地域の人々が、そして社会の誰もが関心をもって協力しなければならない、とするのである。ここには、私の考えと一致するものがある。大事故が起こったとき、それを起こした者の一人に、私自身が含まれている、とするものである。このスタンスがなければ、責任のなすりあいばかりに終わり、また同じ事故が起こるのである。警察や司法は、事故の責任を調査するのが仕事であって、危険を回避することを職務とはしていない。著者はこのことをも強調する。私たちが背負うべき課題なのである。
 さらにこのことを詳しく著者は示す。子どもたちがコンピュータゲームなどで遊ぶから外遊びをしなくなり、自然と触れあわなくなった云々と、何かしら悪役を作りたがる世間なのであるが、その点にも著者ははっきりとそうではないのだと突きつけている。事故の起こった遊具を危険だからとすぐに撤去する。責任問題にされるものだから、とにかく危ないと思われた遊具は世の中から消していく。世間の皆がそのように働きかける。公園に残った遊具は安全だが、面白くない。子どもにしてみれば、公園に行ってもつまらない。そういう公園にしてしまったのは社会の大人なのだ、と指摘する。その通りだ。危険と遊びは紙一重だ。しかも、危険を体験しながらそれを学習していかなければ、無菌室で抵抗力をつけずに育つようなもので、その後より危険な目に子どもを遭わせることになる。また、何が危険であり何が危険でないかを判断させる学習機会を永遠に奪うことにもなりかねない。そのためにこそ、現在も学校における幾多の事故が発生しているのであることがずっとこの本でも調べられ、明らかになってきている。社会全体が関わっている。どの大人も、そう、あなたも、この子どもの危険問題についての責任を負っている。著者は、このスタンスを外さない。私はこの点だけでも、著者の姿勢を健全だと判断する手を挙げたい一人である。
 このように、納得の中で読み終えた私であったが、「あとがき」直前の最後の本文の頁を読んで、号泣した。たまらず泣いた。
 本の原稿は、2月に上梓した――語法が間違っているかもしれない。とにかく2月に原稿を書きあげたということである――とされている。その最後の頁には、こういう内容が書いてあった。
 ……1896年の三陸大津波を受けて、裏山に駆け上がる避難訓練を年に三回行ってきたが、いまでは年一回になっている。事故や災害の記憶が薄れていくのも世の常だ。しかしこのままだと次に災害が発生したときの被害が大きくる。人々の意識を変える必要がある。たとえば学校の運動会など行事として、裏山を一気に駆け上がる競技を提案する。子どもたちも楽しくできるし、何年もやり続けたら、津波から身を守る術が自然に身についていくし、津波の知識が文化となっていくだろう。
 石巻の大川小学校。全校児童の三分の二を津波で失った。
 この危険学の思想が実践されていたならば、失われずにすんだ命だっただろう。
 悲しいくらい、この悪いほうの予想が現実のものとなってしまったのだ。
 その津波の直後に、この本が出されたということに、私はたまらない気持ちになってしまったのである。
 学校関係者、それは学校経営者に限らず、保護者や地域の人、学校というものを子どもと未来のために必要だと認めている、社会のすべての人々のことだが、そうした彼らあるいは私たちが、すべてこの本を読んだとき、何かが変わらないはずがないと思う。もし変わらないで相変わらず自己保身と責任のなすりあいの世界が続くようであるならば、子どもたちはこれからのいくらでもキリストのように死んでいくだろう。まだこれでも何ともしてくれないのか、これでもまだなあなあでやっていくのか、と大人たちに問いかけながら、犠牲が続くことだろう。そして、社会を率いているつもりの私たち大人が、もう神の審きを受けなければならないくらい、腐っているということになるだろう。
 とにかく読んで戴きたい。




Takapan
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