本

『科学者心得帳』

ホンとの本

『科学者心得帳』
池内了
みすず書房
\2940
2007.10

 科学哲学という分野があるが、ここではそういう学の基礎付けという立場ではない。科学者内部の問題である。あくまでも科学者自身が、日常的な活動をどう捉えて実行していくかという視野の問題である。それは、著者も言うように、かつては当たり前だと思われていたものが、近年怪しくなっている、という観点でも捉えられうることなのかもしれない。
 副題は「科学者の三つの責任とは」とある。三つの責任とは、倫理責任・説明責任・社会的責任のことである。
 科学者は、犯罪として立件されないかもしれないが、およそ倫理的にしてはならないことがある。それが第一の責任である。私たちが一般に、あくどいとかえぐいとか言ってしまいそうな行為のことであるが、論文重視の実際から、ついやってしまうことでもあるのだそうだ。
 また、科学者はその活動を政治的に抑えられている面がある。薬害問題には、必ず科学者が隠れているわけだが、事実上予算が削られる中での企業の参与などを含め、経済的あるいは政治的に、操られかねない側面をもつものであるという。産業の、あるいは政治の御用学者に留まるようであるならば、社会に対する説明責任を果たしていないと言われることだろう。
 そして、社会を動かす責任をもつことを自覚すべきだという。かつて平和運動に参与した日本の物理学者でさえ、戦争協力のトラウマから戦後に立ち上がった、と著者はコメントしている。だがそれでもよいのだ。それもまた、責任をとろうとする動きなのである。著者は、科学者は社会のカナリアであれ、と説く。科学の内容はもちろんのこと、科学的効果をも専門知識により知りうる立場にある科学者が、社会の危険をいち早く察知して社会に対して報告する必要があるという。これを、「社会のカナリア」になることだと述べている。
 これらが三つの責任ということであるが、さらに積極的に、巻末で科学者の社会リテラシーがまとめられている。科学者の規範である。
 ・科学的真実に誠実であれ。
 ・想像力を発揮して予測する。
 ・すべてを公開する。
 ・市民としての感覚を失わない。
 まさに科学研究の現場からの声である。元来当然のことと把握されていたかもしれない事柄だが、それ自身を確定させていかないと、科学は危険な道具になってしまうことになると危惧している。
 現場の声というところに、意味が大きいように感じられる。  




Takapan
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