本

『健全な教会へのかぎ』

ホンとの本

『健全な教会へのかぎ』
リック・ウォレン
河野勇一訳編
いのちのことば社
\2400+
1998.4.

 アメリカのカリフォルニア州にサドルバック教会を建て、15年間で1万人を擁する教会に育て上げた牧師。人生論のような著作によっても知られる。ここでは、教会を建て、育むこと、つまりは成長させるということに焦点を当て、ひたすらキリスト教会の牧者や何らかの指導者に直ちに役立つようなアドバイスを続けている。日本語で300頁を超える分量にもなり、充実した内容と説明になっている。
 教会成長。それは、簡単ではないだろうが、他の本でもないわけではない。しかし、アメリカだからという理由ではなく、この本の語ることは、教会の常識を超えている。
 巨大な教会を目指すわけではないから関係がない。そのように醒めた目で見ることもできるだろう。だが、巨大云々ではなく、またアメリカだからというわけでもなく、そこには、教会が教会として成り立つ上で、私たちが案外たんなる自分の思い込みだけで決めていることへの反省が促されることを、読んでいくと覚えていくのだった。
 まず、サドルバック教会の経緯が語られる。よく分かる。分かるというのは、伝わるように書かれているということだ。そして、本筋が登場する。「目的主導の教会」であるべきだというのである。
 ここで、聖書的ではない、などという意見が登場しそうである。そう。聖書に従う教会形成という枠組みだけで考えている限り、この本は読めないのだ。まったくそれとは違うところから踏み込んでいき、それでいて、結果的に聖書に従う存在となっていく、というような不思議な体験を、読者はこの後することになるのである。
 その地域に見合った教会活動であるべきだ、ということが次に示される。これは、聖書からすれば、とんでもないことのようにさえ見える。聖書の原則は普遍的であるから、神の語るこれに従っていくと、というような捉え方で私たちクリスチャンは考えることを王道としがちである。しかし、聖書は愛せよと言った。その愛を実践するということが、地域のニーズを受け容れること、というのは、実は聖書に最高度に従っていることにもなる。つまり、教会側の論理を押し通すことを貫くのではなく、相手の必要に応じ相手が心を開くように構えるということは、まさに愛することにほかならないわけである。
 そうなると、次に、イエスがどのように群集を集めたかという知恵を福音書から探ることも、実際に教会が地域の人々に語る際に当然やってみるに相応しい姿勢であることが分かる。群衆が会衆へと変わっていくようにする、それは有り体にいえば聖霊の働きであるとか、祈ればいいとか、そんな曖昧で実のところ何を言っているのでもない知恵になってしまう可能性のあることなのだが、その点この本では、非常に具体的に、それでいて聖書の知恵に叶うような姿勢を実践することにちゃんとなっていくというところが、不思議でもあり、面白いところでもあるのだ。ただ、原本においてここには分量的にもっとあったのだという。訳者が、非常に具体的に過ぎるため、紙数の都合がある中でその部分をかなり削ったということを告白していた。出版の上での制約なのだが、私はもっとその具体的な事例を見たかったものだと少し残念に思った。
 このように実に様々な場面で、しかしその都度注目すべき点や行動の原則が5つなどといった項目で挙げられ、それを実行することで必ずや教会は成長するものだ、という、経験的な確信も含めた力あるメッセージが、終始この本に響く。
 そして最後に神の目的が読者の教会にも向けられていることを宣言して、この本は終わる。訳者は、原題の「目的主導の教会」では読者になじまないだろうから、と「健康な教会へのかぎ」という言葉を考案している。日本人にとり響きのよい言葉である。しかし、「健康な」という言葉は、考えてみれば少々きつい。このサドルバック教会の提案に基づかない教会は、病気であるという宣言にも聞こえるからである。「かぎ」も、これが唯一の道であるという自信に聞こえ、果たして、リック・ウォレンの意図を日本人に伝えるに最適であったかどうか、それは分からない。ただ、私は面白かった。背景にキリスト教文化が当然のことのようにして存在しその中で生活を普通に行っているアメリカにおける通りに日本でもやれるとは思わないが、発想を変えることはできる。日本ではとてもこんなことできないし、している教会を知らない、というふうなことであっても、こんなことから始めてみようか、というふうに実践を開始することは、いくらでもできるヒントがここにはたくさんあると思うのである。問題は、やってみるかみないかである。良し悪しではない。
 現に私は、この著者に影響され、そんな奉仕は聞いたことがないが、なるほどそれはすばらしい証しになり、また聖書にある命令の実践としてまさにその通りだと言わざるをえない、そんなことを始めた教会を知っている。柔軟な発想であった。だから、今まで前例がないから、といった理由で及び腰になっているまま、衰えていく教会を見るのが耐え難いとするならば、何か刺激を受けて、何か始めてみたらいいと思う。サドルバック教会では、何万という信徒の中で、才能が与えられているため、あるいは示させたため、始めてみようとしたことについては、組織的判定や稟議などにかける必要は全くなく、すぐやってみてよい、という方向でルールが決まっているのだという。組織の原理が必要なのではない。まさにそれこそ、聖書にはない原理なのであるが、私たちはあまりにも、世の論理に従っているケースか多い。本当に聖書に従うというのはどういうことか、今までの自分の理解や常識を、一度洗い流して、考え、行ってみてもよいのではないかと思っている。




Takapan
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