本

『忙しい人を支える賢者の生活リズム』

ホンとの本

『忙しい人を支える賢者の生活リズム』
ケン・シゲマツ
重松早基子訳
いのちのことば社
\1800+
2015.8.

 日本イエス・キリスト教団福岡教会の横田法路牧師が親しく交わっており、その推薦文がフェプサイトにある。正直言って、それを見て戴いたほうが、断然内容がよくお分かりだと思う。
 本そのものは少し前に出版されたが、信仰生活を聖めるような働きとしてとても内容がよいという話は聞いたものの、自分がそれを実行するかどうかはまた別だと思ったし、ほかに聖書研究のために買うべき本が多々あったために、手を出すことはしなかった。が、この度礼拝の中で牧師がこの本を薦めたとあって、心が動いた。
 発売は2015年の夏。その後まもなく、福岡にも著者が来て講演をしていた。一種の修道生活の解説である。しかし、何もカトリックの隠遁生活を説くわけではない。著者はかつては睡眠時間も惜しむほどのビジネスパーソンで、ワーカホーリックとも言える生活をしていたという。それが、神に従う生活を始めたとき、すべてが変わった。たとえ仕事に勤しみ追われているような毎日を過ごす中でも、魂は神との交わりの中に生かされていくことができる。その観点で、本書は生活のあらゆる場面に応じた知恵を提示してくれている。心の奥まったところにいつでもコンタクトがとれる。現代人に必要な視点が余すところなく紹介されているという具合である。
 そういえば、何十年か前には、こうしたキリスト者の生活を助ける本がたくさん出回っていた。もとより狭い市場であるともいえるクリスチャン向けの本の中でも、かつては、生活の徳となる信仰生活のための本がわりと多かったような気がする。たとえば祈りについての本は今もあるが、若い人々が見てどうだろうか。聖い生活ではあるが、どこか浮世離れしたものとして目に映りはしないだろうか。確かに世間とは遊離したものがキリスト者の生活あるいは信仰生活であるにしても、よほど襟を正さないと読めない類の本であろう。そのせいか、伝道の危機だとか教会内の問題だとか、聖書を読むにはどうすればとか、いや、それも必要なものではあるのだが、どこかゆったりした生活を呼ぶのとは違う本が目立つようになってはいないだろうか。教会生活を続けるためにも何か世知辛い話題が検討されるべき課題として共有されてきているように見えてならないのだ。
 この本は、聖書の言葉を逐一引用して、聖書はこう言っています、と圧迫してくるものではない。著者が聖書から与えられた知恵を、等身大の一人の人間として語り続けるものである。そのため、聖書に馴染みのない方でも読みやすく、その中で神の豊かな祝福を知っていくような形にもなれると思えるほどであるのは、メリットであろう。しかしまた、聖人ぶった書きぶりでもなく、平凡なビジネスパーソンであっても、少し目の付け所を替え、新しい原理を受け容れたならば、人生の回路がすべて良い方に回転していくことを強く推奨する。生活の場面ごとに小さなテーマが添えられ、それに気をつけると、世界が違って見えてくる、そういった知恵が体験的に集められているのだ。
 私は、信仰生活の始まった当初の気持ちに、再び引き戻された。あの頃確かに、こういう気持ちから歩み始めたのであった。自分ではさして変わっていないような気がしていながらも、実はいつの間にかずいぶん道から逸れていたのかもしれない、と気づかせてもらった。まさに襟を正して生活を改めよう……と思いながらも、著者の提言通りにはなかなかうまくできないもの。やはり私は、聖書から聴くというあり方のほうが似合っているかもしれない。尤も、そのほうが実のところ断然厳しいはずなのであるが。




Takapan
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