本

『大人が知らない携帯サイトの世界』

ホンとの本

『大人が知らない携帯サイトの世界』
佐野正弘
マイコミ新書
\819
2007.9

 サブタイトルが「PCとは全く違うもう1つのネット文化」となっているが、結局このことが、この本の言いたいことのすべてであると言ってよいだろう。
 携帯電話でインターネットができるようになってから、その利用数はある時期パーソナルコンピュータ、すなわちPCを超えた。似て非なるこれらの端末は、世代的な相違をも包んでいる。PCはますますビジネス化してゆき、携帯は若者の唯一のモバイルとなっている。そしてこの若者が、やがて大人となってゆく。携帯から入った世代は、パソコンから入った世代とは、前提となる考え方からして、違うのだ……。
 毎日コミュニケーションズから出された書籍であるが、この本体は、パソコン関係のメルマガも頻繁に出しており、我が家にもよく入ってくる。つねに最先端で何が起こっているのか、伝えてきてくれるものだが、たしかにこの著者の言うように、ケータイの情報は、PCへと伝わってこない。ケータイの世界のことは、ケータイサイトでのみ展開しているのが現状であり、PC側も、それに割入ろうとはしていないのだ。いや、ケータイ族をどこか見下しているような構造もある、と著者は指摘する。
 中高生がケータイを持っていることが、次第に当然となっているような世の中である。そして、彼らは金銭的に余裕があるわけではない。無料でできることについて、目敏く動き、またその中からできる限りのことをなそうとする。仲間意識を築くには、パネェ画を共有するなどして盛り上がっているのだというが、そんなことはたしかにPCでのネット情報には、おおっぴらに流れてくることがないのだ。
 プロフに基づくコミュニケーションの姿も、どうやらPCとは温度差がある。元々ケータイから入った人々は、それが当然というあり方をしている。そしてもはやパソコンには触れずケータイのみで生活しているという事態が、増えてきているようなのである。
 この現実には、たしかに目を落としている必要がある。たとえは適切でないかもしれないが、自動車しか運転しない者に、バイクの風を切る快感は理解できないだろうが、それでも同じ道を走っているのだ。
 本のタイトルは、ケータイとここで呼んでいるのが、大人でないものであるという前提であることを示している。そこにすでに限定性が現れているといえよう。しかし、携帯について知らない世代の、いわばオジサンやオバサンを誘うにはよいタイトルであるかもしれない。いや、携帯を使っている大人であっても、ここでいう若者たちの使い方というのは、多分に分かっていないのである。
 もちろん、ケータイは危険だ、などという見方が偏見であることは言うまでもない。しかし、小学生でさえ多々手にしているこの道具が、はたしてそのままでよいのかどうかなどについては、この本はタッチしていない。あくまでも、現実を指摘するのだ。今行われているのはこういうことなのだ、と。大人たちに、ティーンズが使っているケータイのことを、そっと教えてくれているのだ。やはり、よいタイトルであったようだ。




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