本

『こんなに変わった歴史教科書』

ホンとの本

『こんなに変わった歴史教科書』
山本博文ほか
新潮文庫
\459
2011.10.

 昭和の教科書と、平成の教科書とが比較されている本。
 これは、しばらく社会科を教えることなく過ごしていた私が、あるとき不思議に思ったことが集められている本である、と言ってもよい。教える立場だから、新しいテキストに書いてある言葉で教える。また、古代の発見などは、それ相応にニュースになっているから、予備知識がある場合もある。鎌倉幕府の始まりの年代の怪しさについても、それなりのルートで聞き知っていたから、さほど驚くことはなかった。聖徳太子の存在への疑念はもちろんのこと、各種肖像画が違うのではないか、という説も、だいたい聞き知ってはいた。
 しかし、慶安の御触書は幕府が出していなかったとか、倭寇とは日本人に限らなかったとか、説明を受ければなるほどと思えても、いきなり聞くと、「え」と聞き返したくなるようなことが、今の歴史教科書には普通に載っている。また、昭和時代とは用語が言い換えられている例も少なくない。西南の役もいつの間にか戦争になっているし、踏絵と答えていた問題の答えが今は絵踏となっていて、東学党の乱も、甲午農民戦争がテストの答えとなっている。これらがいつ、どういう理由で変わったのか、私はすっかり見逃していたのだ。
 その都度、生徒は新鮮な気持ちで聞くから、昨年までの生徒が西南の役と習い、今年の生徒から西南戦争と習っても、それぞれの生徒の中では矛盾は起こらない。ただ素直にそうですかと覚えるだけである。だが、教えているほうにとっては、この変化にはそれなりの理解と納得がなければならない。つい、以前の用語で授業中喋ってしまいそうになるわけだ。
 歴史そのものは変わらないはずである。だが、歴史そのものを認識している人はひとりもいない。誰もが、歴史を一定の史料などから知り、解釈する。それで、歴史学が日々研究されているということは、新たな歴史の事実が分かったり、以前の説が間違いであると言ったりすることにほかならない。だから歴史の教科書も、変化を避けることはできない。ただ、事実の変更が、どれほどの学者の賛同により、あるいはどれほどの歴史学会における意見の集まりにより、なされてよいかということについては、多少は慎重であるべきだろう。そう簡単に、教科書がすいすい変わる訳ではない。ただ、四半世紀を超えた昔となってしまった昭和の教科書での常識は、次の学的進展により、もう改められて然るべきころであるといえる。いや、実際にこうして変わっている。
 この小さな文庫本は、数年前に刊行されたものを文庫化したものである。それでより手に取りやすくなった。何かしら社会科を教える立場にいる人は、こういう本が必要になるかと思いきや、こんな本など知らなくとも当然新たな考え方による歴史観の中で教えてきたことだろう。むしろ、一般の大人たちが認識しておくに相応しい本であるだろう。大人とはいえ、若い世代はこの平成版の歴史でそれこそが正しいと聞いているから、それはそれでよいのだが、昭和の教科書を知る世代としては、時代とのずれを見せつけられる原因となるかもしれない事態である。案外、テレビで芸能人がはしゃぐクイズ番組の答えの中に、この新旧の歴史用語などの違いが、古いままに採用されているかもしれない。そうすると、若い世代から、番組は間違っている、というふうに見えることになる。
 もちろん、子どもに勉強を教える親としても、昔の常識で話をすると、子どもからの信用を無くす可能性がある、ということも頭に入れておきたい。
 問題は、こういう点について、教育書として出版されていても、一般の人々は手に取りにくいことである。それで、このような文庫という形は、たしかにすぐれている。そしてもっと宣伝をうまくすると、大人たちは率先してこの本を買うことになるのではないだろうか。たしかに、文庫としては買って損はない。今の子どもたちがどう習っているか、それを気にしておくことも、大人の務めである、と言えるのであろうから。




Takapan
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