本

『加藤常昭信仰講話5 教会』

ホンとの本

『加藤常昭信仰講話5 教会』
加藤常昭
教文館
\2000+
2000.10.

 FEBC(キリスト教放送局)で1982年に放送したものを、書き言葉に直すという作業を経て本にしたものだという。信仰講話という言い方は遠慮されているのではないかと思われるが、事実上これは「説教」に近い。もちろん、教会の壇上で語られる説教には、それなりの意味があり、日本における説教学の分野における第一人者である著者であるから、断じてこれは説教ではない、と仰るのではないかと思うが、神の心を知ろうとする私たちからすれば、大きな差異がないとして受け止めても差し支えないものではないか。それくらい、この信仰講話なるものには、キリスト者が受け止めるべき知恵と心が溢れている。聖書解釈ではなく、信仰生活をする上で心得ておかなければならないこと、聖書が何を言っているかを弁えておかなければならないこと、そんなことが、一連の語りの中で告げ知らされる。そういうまことに感動的な本なのである。
 半年間にわたり放送されたのであろう。26回で教会をあらゆる角度から取り扱う。
 教会が仲間からできていること、その基礎、力、罪との戦いなどが説かれた後、バプテスマと伝道、救いと土台、和解を告げる使命、教会を支える信徒、賜物と礼拝、賛美と聖餐、教会を満たす光、祈りとその家、教会生活なるものから教会暦、主と生きる人生やそこに働く聖霊、キリストの花嫁としての教会の姿へと至って終わるかと思うと、その後、教会での学びと伝統、そして教会での交わりがいかに重要であるかを告げて幕を閉じる。
 どこを切り取っても、教会というものを知る者にとっては、心に染みいる語りである。ことに、教会が平和に運営されていない場面を経験した者にとっては、これは切実なものとして迫ってくる。それは、健康な人が病気を治す知恵の本を見ても他人事であるのに対して、いまその病気で悩み不安を抱えている人にとっては、すがるような思いでその本を読み、実践しようと努めるのと同じである。だから、幸せな教会生活を過ごしている場合には、案外この本は、ぴんと来ないかもしれない。問題を抱えている場合、飢え渇きと共に、ここに綴られた教会の聖書から告げられる姿というものに、目が開かれる思いが迫ってくるのではないだろうか。
 牧会者という立場を務めた著者である。どうしても教会が必要だ、という視点は強い。他方、いわゆる教会という仲間との交わりにはどうしても馴染めないというタイプの人もいる。あるいは、環境的に、そういう交わりができないというケースもある。そこへいくと、キリスト教放送局のようなはたらきが、その人の支えとなる。そうなると、著者の教会へと求める考えは役立たないのかというと、そんなことはない。教会はもちろん建物のことではない。信仰を同じくする人々のつながりである。また、それはキリストその方でもある。キリストが人をつなぐのである。そして加藤常昭先生は、その放送局FEBCで毎日その著書『祈り』が朗読され、講解説教のような形での講話も放送され続けている。だから、何も教会に来なさいというような偏狭な心で語られているものではない。ただ、誰かとつながることの喜びがあるだろうし、またそれ故の問題というのも抱えてしまうのが人間である。その中で、キリストと結ばれるはずの教会というものが、どういうふうよ求められているのか、それを告げるための、こうしたまとまった話は、弁えておくに相応しいものであるし、その価値を減ずることは何もないと理解する。
 牧会者はもちろん、信徒も当然、知っておきたい知識や知恵に満ちている。もちろん、霊的な刺激に満ちている。それだけは確かだ。




Takapan
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