本

『韓國教會繁榮の理由』

ホンとの本

『韓國教會繁榮の理由』
中條儀助
津田沼キリスト教會出版部
\1165+
1989.11.

 旧字体が用いてある理由はよく分からない。そのタイトルの「理由」には「わけ」とルビが振ってある。本文は読みにくいことはない。副題に「日本の傳道者が体験したこと」とあり、文字がないので表せないが、「者」には点が一つ付いており、「体験」はどちらも旧字体である。
 真っ赤な表紙が印象的だが、もちろん韓国を意識しているのだと思う。1978年に初めて韓国を訪ねた牧師が、その韓国教会の信仰に触れて感動し、日本もこのような信仰をもつ国、教会になってほしいという願いをこめて綴ったレポートである。だからまた、本としてのまとまりには欠ける。最初のほうは韓国教会の内実を原理的に探ったようなところがあるが、自身が体験した範囲から理解したことを伝えているかのようである。
 自分が招かれて厚遇されたさまが描かれ、その時の様子も綴るので、生々しいレポートとなっているのは事実である。歴史もよく学んでおり、できるだけそれを知らせようと努めている様子がよく分かる。
 特に、その祈りに対する姿勢と、信仰生活のあり方については、確かに日本人一般にはお呼びも付かない熱烈さを感じる。
 実はその時代の韓国教会については私も記憶がある。直接接触したことはないのだが、韓国教会を訪ねるという機会は時折あったのでその人から話を聞いたこともある。そのとき驚いたのは確かだから、本書にいま触れた人が驚くというのも理解できる。但し、その頃とはまた今は少し違う様相を帯びているのも確かであるから、確かに本書は副題の通り、ある人物が「体験したこと」としておくと、まずは適切であろうか。
 この時代、韓国では、日本を救うということが大きなテーマとなっていた。かつての敵であり、朝鮮を害した国である。しかし、だからこそ、キリストの教えはそれを愛するようにと言っているのだから、という具合でもあったことだろう。まさに、聖書をそのままに生きるということをしようとしていたのだ。その精神は今も確かにある。たとえぱデボーションの雑誌に『リビングライフ』というのがあるが、これは今も日本のキリスト教書店で販売されており、韓国の立場から聖書を探究し、そこから信仰生活を豊かにしようという日々の通読と聖書研究の雑誌である。私も実は何冊か読んだことがある。勉強になったが、信仰本意のもので、聖書そのものから聞くというよりは、聖書を信仰的に聞いた指導者の解釈を有難く戴くというような内容だったので、聖書から自ら聞きたかった私には合わなかった。だからいわゆる福音主義などの教義に合った形ですべての聖書を読み解くしかないわけで、確かに信仰生活をする上では健全なのかもしれないし、そこに信仰の力というものを感じることは確かである。
 しかし当時、たとえば「幸福への招待」を、関西に住んでいた私は視聴することがあったが、これは韓国のチョー・ヨンギ牧師が日本の救霊を掲げて、日曜日の朝のその番組にゲスト出演していたのが、いまなお活躍する方も多い、日本の伝道者やそれに準ずるような人々であったことも覚えている。その後チョー・ヨンギ氏はいろいろな批判を受けたり嫌疑を受けたりして、いま現在どういう状態かは知らないが、一時の栄えぶりとは違うようである。当時世界最大の教会を誇り、まだメガチャーチが話題に上っていなかったような時代に、ヨイド教会は会員50万とか70万とか言われていた。
 そこには、物質的な祝福のメッセージ性が強かったように記憶している。祈れば祝福される、収入も増える、といった角度から多く語られていたのは間違いない。もちろんそれがすべてではないだろうが、すべてであるかのように響いてくる勢いがあって、その点、本書にも注意深く見ていくと感じられるものがある。
 韓国語は、日本語と語順が殆ど同じであり、漢字を使った歴史があるので、発音も似た単語がかなりある。しかし、言語と生活とは必ずしも並行せず、性格としてはかなり異なると言われている。大陸国であるせいもあろうが、激しく感情を出す点は明らかに異質なものを感じる。信仰についても、キリスト教の伝来そのものの歴史は日本と類似した点があるが、やはり信仰の姿勢についてはずいぶん違うものがあるように思われ、本書にもそれがよく描かれている。
 祈りと断食、また献げ物について、ここに書かれてあることは、少しオーバーなところがないとも言えないが、概ね事実であろうと思う。その点、負けると言えば負けると言える。分かりやすい聖書解釈は、日本における自由主義神学の勢力と一歩引いたような信仰からすると、学問的でないと言われるかもしれないが、やはり信仰に生きるという点では、問題なくすごいとしか言いようがない。
 このようにして、この小さな書物は、あまり人の目に触れないものであったことだろうが、言わんとしている内容については、もっと日本のクリスチャンに知られて然るべきである、という点を評するに、私は吝かではないものである。




Takapan
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