本

『感動する授業』

ホンとの本

『感動する授業』
朝日新聞社編
朝日新聞出版
\1365
2012.7.

 朝日新聞で2007年から連載を始めた、教師の公開授業のようなコーナーをまとめた本。「花まる先生」というタイトルだというが、各地の先生の授業のひとこまを紹介していくものだ。
 教育論があってもいいし、教育の中に、一定のポリシーが貫かれているということは、大切なことだ。あまりにもハウツーものとしてこうした授業テクニックを受け取っていくということについては、私は賛同できない。
 だが、しょせん他人の教育論であるし、それを全部同一にできるわけでもない。各教師が、当人だけは気づかなくても、自分というアイデンティティのように実のところ具わっているその人らしさというものは、そう簡単に変わるものではないだろう。そうした教師の自分自身に気づいていく過程の中で、共感できる授業の方法や考え方といったものに、いろいろ出合っていくことがあっても、当然よいと思う。そのためには、一人のイデオロギーのようなものに入れ込みすぎていくことは適切でない。様々なスタイルを垣間見るということも、有用なことであると考える。
 ここにはたくさんの実例がある。まず、被災地という事情における例が集められている。後は各教科別に並べられている。見易い。教師を経験してくると、それぞれの項目は教えたことがあることばかりだろう。なるほど、そんなやり方があったのか、と気づかせられることもあるに違いない。自分と同じようなことをしている、とも思うだろうし、ちょっとした違いに、目が覚まされる思いを抱くこともあることだろう。いや、全く気づきもしなかった発想に驚かされることだって当然あるはずだ。
 現場の教師にとり、これは勉強になる。手間暇かけた研修という、どうかすると形だけになってしまう企画よりも、実用的であるかもしれない。もちろん、この本という媒体では、直に人間と出会うのではないから、表面的なことになるかもしれないが、逆にまた、妙な人間くささを省いた、純粋に教育的な事柄として見つめ、学ぶことができるとも考えられる。
 それから、これを小学生の保護者が見る、ということに、私はより大きな意味を覚えるものである。ともすれば、ちょっとした対応や失敗のために、学校や教師を見下してしまうような傾向のある現今である。教師が保護者にぺこぺこしまくるのが当然であるかのように考えている風潮を私は感じる。これはやはりおかしなことではないか。金を出して子どもを送っている塾に対してのほうが、どちらかというと、親は腰が低い。公的な学校に対しては、上から目線であるふうではないか。しかし、現場の事務的な忙しさは同情するしかないほどであるし、とくに若い教師は経験の点からしても厳しさが増す。そしてその中でこのような授業の工夫を必要とされ、研究し、実践している。そのレポートにも日々追われる。
 我が子の躾くらい、親がやって当然であるのに、教師におんぶにだっこ、という事態であれば、こうした教師の舞台裏を知ることは、親の考え方の転換のために必要ではないかと私は考える。まして、給食費を滞納して払う必要がないなどと吠え、携帯電話に何万の支払っているような親などは、もはや教師に何か発言するような権利すらないのは、言うまでもない。
 ただ、持ち上げすぎず、一言言わせてもらうと、小学校の教師の質は、次第に落ちている。いわゆるゆとり世代が新人教師として入ってきている。学力自体が足りない教師、とくに日本語能力については、凡人以下ということも事実ある。国語力を身につけてほしいと私は願う。




Takapan
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