本

『かーかん、はあい』

ホンとの本

『かーかん、はあい』
俵万智
朝日新聞出版
\1260
2008.11

 短歌をポピュラーにした立役者も、ママとなった。子どもがいると、経験が広がる。見える景色が変わってくる。少なくとも、子どもに教えられることがたくさん現れる。
 いま「子どもと本と私」というサブタイトルで、新聞連載のコラムがまとめられた。「かーかん」は、母さんと呼ぶときの音であるという。
 こうしたコラムなので、決まった字数で短いまとまりとなっており、五味太郎さんに依頼し書いてもらったというイラストを含めて毎回4頁で展開する。非常に読みやすい。しかし、さすが歌人である。短い言葉の中に、どうすれば効果的に伝えたいことが盛り込めるか、完全に分かっておられる。国語の教師としての経験もあろうが、これはもう身についたものそのものである。
 しかも毎回、そこに登場した一冊の絵本を紹介するような形となる。それは、決してたんなる読書案内でもないし、その絵本の書評などでもない。極力、批判するようなことを避けていこうとする態度も見えてくる。ひたすら、子どもの視線を抱きしめるように、それでいてやはり言葉を操る者として、どこか冷静に客観的に「子どもと本と私」を見つめながら、言葉を紡いでいく。
 選ばれる絵本には、衒いがない。ちょっと知られていないものを示そうとか、海外のものは知らないだろうとか、そういう気持ちが少しも感じられないのだ。どこでも入手できる絵本、そして誰もが必ず触れるような絵本ばかりが並んでいる。それを、絵本理論の視点からというのでなく、ただ子どもを見つめる母親として、そして言葉に常人ならぬ感覚をもつ歌人として、ただ綴っていく。
 どこか共通する境遇にある私からみて、どういう風景であるのか、なんとなく分かるような気がする。それだけに、妙に涙が出てきてしまうコラムがいくつもあった。実感の度合いが尋常ならぬほどになるとき、言葉を超えて感情が震えるのである。
 それはともかく、筆者は絵本をただ楽しみ、子どもの世界を形成するものとして、精一杯尊重している。本は人間のような息吹をもたないかもしれないけれど、それぞれの持ち味をもつ友だちそのものであるように思えてくる。「子どもと本と私」というサブタイトルは、金子みすゞの、「わたしと小鳥とすずと」を少し変えた、「小鳥と鈴とわたし」のリズムからできている。偶然でなく、計算されたものだろうと、私は固く信じている。




Takapan
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