本

『鏡の中、神秘の国へ』

ホンとの本

『鏡の中、神秘の国へ』
ヨースタイン・ゴルデル
池田香代子訳
NHK出版
\1400+
1997.11.

 原題は、「鏡に映ったぼんやりとしたものを」といったようなものだという。
 ゴルデル。『ソフィーの世界』『アドヴェント・カレンダー』などで知られる。私はそのどちらも購入して読んだほどだ。
 哲学的なテーマで、子どもにも読めるファンタジー。独特の世界を提供してくれる。奥の深さを届けるが、とびきりのエンターテインメントというわけではないかもしれない。商業主義に走らないところが、ファンにはまたよいのかもしれない。
 今回のテーマは、これまでにも増して、重い。重すぎる。だのに、極めて明るく、軽やかに展開する。よくぞここまで雰囲気を作り、最後まで運べるものだと驚く。
 セシリエ。女の子がいる。重い病気だ。家族や周りも気遣っている。どうやら、治る見込みはないらしい。ところがこのセシリエの目に、天使が映る。ほかの人がいないときだけだが、天使と出会い、話をするようになる。
 天使の名はアリエル。人間は天使のことを理解できない。が、ここに面白い視点が入る。天使もまた、人間のことを理解できないのだ。もちろん、天使は事態はお見通しである。壁も素通りする。というより、天使にとり、壁は原子の羅列であり、いわばスカスカの存在なのだ。霧の中を私たちが歩けるように、天使は物質の中を歩いて通ることができるというだけだという。このあたりも、ゴルデルの掲げる理屈は光っている。
 いや、実はこのことは、かつて私が小さなときに、考えたことである。小さいと言っても、小中学生の辺りだ。原子なるものを知ったときにそう思ったのだ。
 それは置いておこう。天使はまた、肉体をもっているのではない。だから、肉体的な感覚というものについても、実感がないのだと言う。こうして、セシリエとアリエルとの間に、奇妙な対話が続く。内容理解には噛み合わないこともある。だが、会話には信頼というものが窺える。相手を疑うようなことはしないのだ。そう、天使は嘘はつかないのだ。
 ゴルデルのいろいろな伏線や状況設定が、ひとつひとつの理屈を基礎付けている。もちろん、それらはファンタジーであるだけに、完全に科学的であるようなわけにはゆかない。しかし、少なくとも哲学的に、根拠を踏まえた理屈が会話になり、納得に進むような形をとっている。ただの思いつきで話が流れているわけではない。
 内容をすべて明かすわけにはゆかない。
 ただ、聖書をベースにしており、神も天使も、聖書の世界を前提として描かれていくため、聖書をご存じでないとしたら、この物語を味わうのにはかなり厳しいことになるだろう。逆に言えば、聖書を信じている人にとっては、何の困難もなく、興味深くそのまま読み進んで行くことができるはずである。
 それもそのはず。最初にお知らせした、この本の原題。「鏡に映ったぼんやりとしたものを」と聞いただけで、聖書のあの箇所だ、と多くのクリスチャンは思い起こす。私はここから説教を組み立てたことがある。私にとり、思い入れの強い場面である。この「鏡」とは、二千年前の鏡であり、今のものとは訳が違う。おぼろにしか映らないものであった。鏡に映るというのは、まるで謎のようにぼやかされている、という意味なのである。パウロは、しかしいつか神の相応しい時に、あるいはまた、神の審判の終わったときに、すべての意味が明らかになるのだ、と第一コリント書で書いている。有名な「愛の章」である。人は、生きているこの世界で、全知になれるわけではない。どうしてこんなことが、と思うことが多々ある。しかし、神は解答をもっている。いつか、きっと分かるから。いつか、そのときに、「なるほど、そういうことだったのか」と肯ける時が来るのだから。パウロはそう言って、不思議に見えることの向こうに、神への信頼を置く。
 少女セシリエも、その信頼の中にいる。
 最後は涙した。涙したが、悲しいとか、悲劇的だとかいう涙ではない。イエスが、幼な子のようにならなければ神に国に入れない、と告げたように、この澄んだ眼差しの中に、神への信頼があり、つながりがあり、祝福があるのだということを、素直に感じ取れると思ったのだ。「心が洗われる」というのは、こういう経験のことを言うのではないか、と言えば、この本の良さが伝わるだろうか。
 日本人向けのタイトルが考えられたようだが、私は原題でもよかったのではないかと思っている。さらに言えば、「鏡に映った謎」でも、たぶんよかったのだ。ゴルデルはミステリーファンタジーの作家として有名だが、この本については、ミステリーのおもむきはない、と訳者は書いている。タイトルを引いてきた聖書の原語に気づいてはくださらなかったのかもしれない。この「ぼんやりとしたもの」は、ギリシア語で「謎」を表す語でもあるのだ、と。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system