本

『科学の現在を問う』

ホンとの本

『科学の現在を問う』
村上陽一郎
講談社現代新書1500
\714
2000.5.

 少し古い本だが、訳あって学ぶのに相応しいと判断したために、古書店で購入した。古書店とはいえ、最近は流通本位の大型チェーン店だ。本の価値というよりも、売れるかどうかで価格を決めてくる。これも当然格安であるが、読み応えがあった。
 村上陽一郎氏は、クリスチャンとして信頼に値する科学史家である。広く読まれる本を著しており、文章も巧い。自分のことについて語っても好んで読む読者がいる。世界への広い視野をもち、歴史を捉えるしても、ヨーロッパにおける信仰の精神というものをよく理解しているので、表面上を滑る観察者とは違うと思うのだ。
 それはともあれ、ここでは、「科学」とは何かが解説される。それは、19世紀に成立した、人間の思考枠である。「科学者」という言葉自体、1840年ごろに生まれたものだという。これは、科学を神のごとくに崇拝して信頼する現代人には驚きであろう。その信頼が、原発事故で揺らいでいる。となれば、また不安定な無根拠の精神世界や霊魂を知ったかぶりで喋る能弁な人物に「ひょっとして」と惹かれていく危険の懸念も当然浮かび上がってくるというものだ。
 この本は、オウム真理教事件を知る人々が読むことを前提としている。科学を何のために用いるか、それは「まさか」そんなことに使うまいと無根拠に信じていた現代人を、驚愕に陥れた。それは様々な批評を呼んだ。だが、「なぜ」という問いは必ずしも解決されたわけではない。
 いったい、19世紀に成立した「科学」とは何だったのか。どんな特性があり、どんな危険性をはらんでいるというのか。科学は確かに変質している。かつての万能人が趣味のように扱った世界の真理という側面から、科学者集団が雇われ、政治や商売の利益のために利用される技術者となってはいないか。著者は、その当時に問題となった、東海村の臨界事故を検証する形で、科学の置かれた危うさの理由を追求する。これが、もし東日本大震災の福島原発事故を経て書かれていたとしたら、どうだったろう。だが哀しいことに、ここで懸念されたことが、福島で現実に起こってしまった。事故をどう解釈し、どう軌道修正していけばよいのか、提案があろうものを、実際無策で安穏と放置されていた観がある。残念でならない。
 科学の問題として具体的には、この後、医療と生命倫理問題、とくにクローンや人工臓器について言及されている。今また、人工臓器についての明るい兆しが世を賑わしていると見えるが、さて、そこにどんな問題が隠れているか、私たちは了解していると言えるだろうか。
 さらに、コンピュータはこのころようやくネット通信が一般的になってきて、その後の進展はもちろん目覚ましいのであるが、そこに往来する情報の意味とそれを扱うことについての問題点が挙げられてくる。私たちはその点を十分に検討することなく、すごい便利だの驚きだけで、ここまで来たし、これからも進もうとしている。決してそれは経済だけの問題ではないし、また秘密漏洩という問題を掲げて別目的でも利用できる法を作ることについて、むしろ懸念を蹴散らそうとする人々が渦巻いているように見える。
 つまりは、科学者の、そして技術者の倫理が問われている。これからどういう社会であろうとするのか、あればよいのか。私たちは問い続けなければならない。便利さや自分の利益ばかりを優先して、自分はただ傍観者であると責任を感じないでいる人間たちが、最も悪質であるというふうにも見ることができる。自分は自分で無実だと決めてかかり、実のところ行為に責任があるはずなのに無関心を決めつけ、無責任な態度を取り続けるからである。
 これを、教育の点からも指摘するところが、科学哲学者であり、また教育者である著者のやはり責任感であろう。工学たるものが日本においては、欧米と異なる特別な地位を与えられ続けてきた。その工学が生み出す事態に責任がない、などと言えるはずがないであろう。オウム真理教の時にも持ち上がった問題、理系教育の問題点を、これだけの厚みをもって指摘する。たんに思いつきでもなければ、無責任に持ち出す霊とかスピリットなどのせいにするわけでもない。誰もに責任の一端があり、また特に価格者と呼ばれる人々に備わっているべき問題意識というものを、明らかにしようとする意志を感じる。
 タイトルの「現在」はもう10年以上前に過ぎてしまったが、その後の世界を見ると、悪しき予想がそのまま当てはまり、またますます、適切な倫理や理学理論がリードするのでなければ危険だという分かれ道に今なお私たちはいるのだ、ということがよく分かる。必ずしも、古い見解であるのではない。むしろ、この懸念が現実化していったではないか、と指摘するのが筋である。私たちは、必ずしも善良であるわけではない。利益や名誉が先行する科学者集団の中で、倫理は密かに塗りつぶされていくことがないか心配である。そういうわけで、決して古さを感じさせない点が、逆に怖いとも思った。




Takapan
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