本

『自伝的信仰入門』

ホンとの本

『自伝的信仰入門』
佐古純一郎
緑地社
\150
1964.7.

 あまりに古い。入手は難しいだろう。とはいえ私も、これを古書店の棚で見つけた。
 日本文学への造詣が深く、カトリックや仏教の方との対談などでも知られる、プロテスタントの牧師である。さすがに文章が巧い。読んでいてなにひとつ淀むところがない。自分の人生を語るのであるから、その流れそのものを間違ったり戸惑ったりすることはないのかもしれないが、逆に自分の人生だから、自分だけに分かり切っていることが多すぎるわけで、それを、読者にもすんなりと受け止められるように綴るというのは、思いのほか難しいことなのである。それが、実にすうっと、なにもかも思い描けるように流れ入ってくるというのが、やはりさすがである。
 その中には、キリスト教牧師としてはとんでもないと思えるようなことも書かれている。これは罪だった、と自分の幼いときのことを書くが、普通なかなかこんなことは書かない。いや、最近はこういう書き方を知らない、ということなのだろうか。というのは、私もかつてそのような証しをしていたからだ。いわば、やや昔風な証しのスタイルであるのかもしれない。若い人々にもこれは見てもらいたいと思う。それがよいというわけではなく、こういうのもあるのだという意味で、である。
 さらに、仏教に深く関わっていた様子が長く記される。これも、牧師としての立場からは隠しておきたいような事柄だと普通なら思うところであろう。しかし、淡々と描く。すべては神の手の内で起こっていることである。どんな経緯があろうと、神の摂理の中での出来事であるならば、避ける必要はない。それが原理である。その原理通りに、綴っていく。
 ただ、仏教を否定しないというところも、この方の特徴かもしれない。仏教は知恵でしかないけれども、またそれを弁えてはいるけれども、その知恵の中には肯けるところや、人生の理解のために役立つところもある、と平然という。なにも日本文化がすべてだめだとか否定されねばならないとかいう考えをお持ちではないのだ。また、それでよいと思う。自然神学といい、あらゆる事象が、聖書のことばとは違う世界であっても、神を証しするという考え方があるが、それを人間の営み、とくにこのような知恵の中にも見出すことができるのは、やはり強みであると言えるだろう。
 こざかしいことばかり申し上げたが、こうした本はもはやなかなか入手はできないだろうと思われる。もし半世紀前のこの本に巡り会えたら、関心をお寄せになることができたら開いてみればよいし、そうでなければ、この時代の人がどのような考え方や感じ方をしていたかを、尊重する思いを少しでも抱いて戴ければよいと思う。
 また、佐古純一郎という方について、何かしら知って戴ければ、私としては満足である。天に召されたのは2014年5月。お生まれは、ワイマール憲法制定の1919年、やなせたかしさんの誕生と同年というと、時代を感じて戴けるだろうか。




Takapan
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