本

『私、医者に行ったほうがいいですか?』

ホンとの本

『私、医者に行ったほうがいいですか?』
山田修+吉良有二
日本経済新聞出版社
\2100
2010.4.

 分厚さの割には価格が安いと思えるような本である。「身体の変調に気づいたら読む本」という言葉が表紙の上のほうに書いてある。装丁は白が基調でシンプルだ。タイトルは日本語としてはちょっとひっかかる。場所ではない「医者」という言葉をこのように使うのは奇妙である。「商売人に行く」「労働者に行く」とは言わないのと同様である。「病院に行ったほうが」や「医者のところに行ったほうが」が適切であろうと思われるが、確かに日常会話で、「医者に行く」とは言う可能性の大きい表現だ。つまり、日常の生活の場から、医師へとつなぐための一つの予備知識のようなものを与えてくれる本ということなのであろう。
 図解が多く、難解な言葉もおよそどのようなものであるのかの見当はつけやすいと言えるが、概して扱われている言葉や口調が専門的である。つまり、開いて見てまず思うのは説明が専門的すぎるという感覚である。
 冒頭に短く、この本の目的や意義などがまとめてあるが、その分そのものが専門的で近寄りがたい雰囲気を伝える。「プライマリーケア」を目指しているのだという。医学的な予備知識を持って欲しいということのようだが、たしかに、あまりにも知識がない患者だと医者側も説明に困難を覚えることがあるだろう。その意味で、この程度の知識をもって臨んでほしいという気持ちを感じとることもできる。しかしまた、必要以上に専門的知識をかじったがために、知ったかぶりになるような患者もまた、医者は好まないのではないかとも思う。どうやら、医者の告げる病状の説明や対処などについて理解する知識をもってほしい、ということのようだ。適切な指示を適切に受け止めるだけの知識を患者がもっていると医者の側も楽なのだ。
 患者サイドで、具体的にどうすればいいのか、どう見れば自分の病気が判断できるのか、そういうことがノウハウ的に書いてあるわけではない。それは医師の仕事である。だから、この本に何か実用的なものを求めてはいけない。患者が自分の症状に対してどういう理解を示せばよいのか、ストレートに教えてはくれないのだ。
 ではこの本の位置づけは何か、と私は考えてみた。結論は、「教科書」だということ。
 学校の教科書を思い出して戴きたい。間違ったことは書いていない。必要最小限なことが書いてある。間違いなく、正しいことが書かれてある。しかし、それだけ読んで内容が分かるものではない。他の参考書や、受けた授業を通して読めば、なるほどそうかと理解されるものだが、この教科書だけを読んでテストに対応できるという生徒は殆ど期待できない。教科書とは、そのような書き方がされている。それは正しいのだ。だが、それだけ与えられても役に立つとは思えない。大人のための世界史や日本史などの教科書が山川出版社から出されて売れているが、あれも、その後の人生経験を積んだ大人が読み返すからこそ味わいがあるのであって、いきなり高校生が読んでなるほどそうなのだ、と背景まで理解できるわけがないのである。
 従って、病気というものがどのようなシステムにより起こるのか、という知識を得るためには、さしあたり優れている。その病気の原因、構造を知ることができる。また予防するには何が望ましいかという優等生的な指導法も書いてある。間違ったことは何一つ書いていない。だが、これだけ読んでなるほどと理解するためには、相当の予備知識や学力が必要だろうと思われる。そして、あらゆる項目が羅列してあるが、いま痛みを覚える自分の症例はそのうちのわずか一つであったりして、自分がどうすればよいのか、何に気をつければよいのかというような知恵について、少なくとも実用的な知識を提供してくれるとは思えない。もちろんそれは医師の仕事であるから本を読んで治るようになどとは思わないが、それにしても、あまりに教科書的である。まるで、医師か何かの資格試験を受ける人がこれで学習したらいいですよ、というような本に見えてならないのである。
 教科書だからだろうか。目次が使いにくい。ないよりはまし、という程度のものしかついていない。索引にしても、実に貧弱である。というよりは、専門的な病名が索引に並んでいるわけだから、患者サイドとしてこの索引を使うことは殆ど無理なのである。
 だから、もう一度持ち出すが、副題の「身体の変調に気づいたら読む本」というのは、適切ではないように思われてならない。症状から調べるということができないからである。「病気は何故起こるかを学ぶ教科書」というところではないだろうか。




Takapan
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