本

『一切を捨てて』

ホンとの本

『一切を捨てて』
熊野清樹
ヨルダン者
\1500
1983.10.

 いまとなっては古いタイプの説教者であるかもしれない。だが実に味がある。説教は、そのときに語られたいのちの福音である。どんな福音を聞いて、先輩方が信仰を育まれたかを実際に知ることは、私たちの世代がどのような中で作られてきたかという足跡を知らせてくれる。
 福岡に関係する方である。実はこの本を知ったのは、福岡由来とは必ずしも言えないルートであった。東京でこの牧師に出会い恩師と受けた人の話の中で、知ったのである。いや、正確には本ではなく、牧師の名を聞き、関心をもって調べてみると説教集が販売されていたことを知ったのである。
 普通に読めば「くまの」と読んでしまいそうである。京都にも熊野神社があり、私はその前のパン屋さんにお世話になった。だがこれは「ゆや」と読むのだという。それで心に残ったのもひとつの理由である。「ゆや」という読みは、日本語変換もしてくれるので、きっとある意味で一般的なのだろう。清樹という名のほうは、「きよき」と読む。名前を口にするだけで、なんとなく恵みの中に入れられるような気すらしてくる。
 熊本に生まれ、献身の後はいくつかの学びを終え、福岡の西南学院大学の教授となる。東京での牧会もあり、日本バプテスト連盟理事長も務めている。京都のバプテスト病院理事長の経験もあり、京都と福岡に住んだ私としてはずいぶんと身近に感じる。
 この方の説教には味がある。まず、選ばれた聖書箇所とは違うところから入る。いったい先の掲げた聖句は何だったんだろうと思われるほど、別の箇所の説き明かしや体験談を語っていくのだが、いつの間にか最初の提示聖句がまとめていく、という不思議さである。そして、その体験談や人の証というのが、なかなか生々しい。臨場感溢れる演じ方もされていたことだろうと思う。録音から起こしただけの原稿もこの本の中にはあるそうだが、声が聞けないのが残念なほど、その言葉だけでもわくわくしてくるような語り口調である。
 掲げられた聖句別に編集されており、福音書が半数以上を占める。しかしパウロ書簡の中に恵みがあったという告白も中にあり、聖書を広い視野で捉え、福音を語っていたことは間違いない。
 巻末には、伝道集会などでの語りも集められており、礼拝説教とは違う、生い立ちなどの物語が明らかにされ、より人物像に近づけるように思われた。いやはや、若い頃からのご苦労も多かったわけである。
 聖書の登場人物の気持ちに寄り添い、時になりきったような語りが展開し、小気味よい。聖書神学や高度な解釈を施すというよりは、自ら神のことばと格闘し、しみじみと自分の中で味わったこと、体験から教えられたこと、そういった中で、神の恵みを福音として語るというように感じられた。従って、読む説教としても非常に読みやすいし、信仰を強められることができるだろう。
 入手は難しいかもしれないが、いまのところ数冊はネットで購入できるルートがあるようだ。こうした先人たちの声は、決して時代を経て古びることがないと思いたい。いまふうの流行りとは違うかもしれないが、人生が人それぞれまるで変わるということはない。ふと、違う視点を受けてみることはよいことだ。それでいて、人生の普遍的なものを知ることができるというものである。
 それにしても、こうした説教集をなんとか出版しようと、信徒に慕われる牧師というのは幸いであろう。その人柄の点も関係あるだろうが、その説教にいのちがあったというように受け止められ、またその生きたいのちがこのような形で残そうと思い、労を厭わないようにさせるのである。こうした背後の心を思うだけで、この牧師の生き方や人となりが、様々な危機や問題をご本人が経てきたとしても、満ち足りたものであるように思えてならない。




Takapan
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