本

『知の礎』

ホンとの本

『知の礎』
鈴木範久・月本昭男・佐藤研・菊地伸二・西原廉太
聖公会出版
\2000+
2006.3.

 原典で読むキリスト教。このようにサブタイトルが付いている。キリスト教の歴史を、ヘブライ語聖書から始まり、2006年の世界教会協議会に至るまでの歴史を概観する。また、日本におけるキリスト教の歴史をそれとは別に短く辿る。時折、原典の邦訳資料を載せて、オリジナルの息吹というものを感じさせてくれるのもいい。写真や図版も程よく入れられているが、図解しているというほどのものではなく、基本的には文章による解説である。
 聖書とは何かという視座を掲げ、必ずしも信仰するために教会で教えるような形で聖書を紹介しているとは言えない。考古学的な事実や歴史の流れにおける叙述などが重んじられ、どちらかというと、聖書を文献として読んでいく姿勢に貫かれている。学びのための書であるということができよう。また、より客観的な視点で、現代の私たちにおいてキリスト教や聖書を何ができるのか、どんな役割を担っているのか、ということが問われている。その意味では、信仰を増すための本というわけではなく、キリスト教学のテキストにもなれるような内容である。このことは、本書の最初のほうでも宣言されているため、使い方を間違えないのであるならば、たいへん有益な本であるといえる。
 というのは、項目が多すぎてたいへんなこれだけの歴史を、実に手際よくまとめていると思われるからだ。ことさらにあれもこれもと欲張らず、私たち現代の視点からも必要と思われるポイントに絞り、しかも書物として一読すれば流れが掴めるような構造になっていると言え、学習用にも、またキリスト教全体を考えてみるにあたっても、実に有用であると思われるのだ。
 中世ヨーロッパの歴史も、宗教改革と一口に言われる出来事の中の軋轢や背景なども、コンパクトによく描かれている。類書の中でも、かなり優れたまとめ方ではないかと私は見ている。最後に置かれた日本におけるキリスト教の動きについても、権力の酷いありかたを赤裸々に述べ、また、キリスト教世界の中の矛盾についても隠さず露わにしている。偏った自己主張を目指しているようにも見えず、ほんとうに私たちが必要とする知識や過去を、よく並べているものと驚く。
 それでも、実に地味な本であるという印象を受ける。私が本書を手に取ったのは、新古書扱いの売り場であった。在庫を抱えてどうしようもなかったのか、出版して10年後に、何冊も何冊も某書店の棚に並んでいた。しかも、当初の10分の1の価格で。不遇である。10年前に私がどれほど新刊書に通じていたか知れないが、どうにも出版されていたという記憶もなかったわけで、あまり表に宣伝されてこなかったものではないかと思われる。
 というわけで、本書が捨て値のような価格で売られているというのは、出版社の側からすれば残念ではあるが、読者の側からすれば、これはうれしいことである。知るために、また調べるために、手元に置いていて損はないと思う。妙な宣伝をしてしまったものだが。




Takapan
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