本

『いま、聖書から聴く』

ホンとの本

『いま、聖書から聴く』
日本YMCA同盟編
かんよう出版
\800+
2015.9.

 緊急出版である。2015年夏、安全保障法案の強行採決に伴い、意見を発さねばならないとの思いから、YMCAが、特に学生YMCAの中で、聖書を基に「平和」とは何かを問う説教などのメッセージを寄稿してもらったというのが、このブックレットである。ブックレットのような形式ではあるが、150頁あり、イラストも何もない地味な風体ではあるが、内容の濃いものとなった。
 20代から80代に及ぶ22人の声が並んでいる。副題に「22の平和説教集」と記してあり、その「説教」には「メッセージ」とルビが振ってある。これは、「学生YMCAブックレット」として発刊された。
 どれもメッセージであるから、まず冒頭に聖書箇所が引用される。礼拝説教と同様である。「平和」がテーマである。聖書の中でも、わりと限られた部分が引用されるということは予想された。実際、「平和」の語が登場し、それが中心に来るような箇所のいくつかが取り上げられている。だが、その語の有無に関係なしに、聴いていくうちに思わず唸ってしまうような、平和の意義が隠れている聖書箇所も多々あった。聖書を聴き取るというのはこういうことなのか、と驚く。
 最初のメッセージからして、いわゆる「よきサマリア人のたとえ」である。しかも、それは自ら襲われた体験談を語るところから始まるという、ショッキングなものであった。このたとえは教会でも好んで語られる個所のひとつである。しかし、語られるたびに、この気の毒なユダヤ人は、幾度も幾度も追い剥ぎに襲われなければならない。いったい年に何百回、何千回、何万回、半死半生の目に遭わなければならないのであろうか。いくらサマリア人が助けても、数えきれないほどに暴力がなされている。この暴力を止める手だてはないものだろうか。メッセンジャーはそれを問う。私たちは隣人に「なる」という、ここでのイエスの指導を、ほんとうに仰いでいるのか、問われている。その、追い剥ぎに対して、私たちは出会っていないからである。追い剥ぎに暴力をしないですむようなアプローチが、できていないからである。
 こうして、私は最初のメッセージで目を覚まされた。次は、「神の似姿」という題で、これまた「平和」がどう関わるのかと疑問に思うような始まりのメッセージである。しかし、言葉が真実や実在とならない人間の立場において、共同して存在をもたらす努めが、自分とは異なるタイプの人々や、もちろん自然に対しても、この手で始める必要があるということへと導かれていくのには、突き動かされざるを得ない。
 短いメッセージの数々であるが、一人一人のメッセージから、つねにドキリとさせられる経験を、読者はもつであろう。同じ一人の著者のメッセージ集であれば、いうなれば読み慣れてくると、この著者ならばこのように言うだろう、というような空気が読めてくることがある。しかし、ここには22人、同じ霊に支えられているとはいえ、別々の人格である。それぞれの人生経験から得られた「平和」という概念が、わずかな頁に凝縮しているというのだから、実に濃い、そして多様な声が響いてくる。
 そして、これほどどのメッセージも等しく際どく突き刺さってくるというメッセージ集も珍しいと私は感じた。そして、そのたびに、涙が滲んでくるのを抑えられなかった。こんな本も珍しい。「学生」の文字に遠慮してはならない。大人もまた、読まなければならない。たいがいの福音説教を聞き慣れたベテランの信徒でも、あるいはだからこそ、私と同じように胸を刺されるに違いない。きっと、読んでみてほしい。まさに、これは「緊急」に読まれなければならないと私は確信する。




Takapan
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