本

『生きなおす力』

ホンとの本

『生きなおす力』
柳田邦男
新潮社
\1470
2009.4

 雑誌「新潮45」に連載された原稿が集められた。大人向けの評論と言うべきであろうか。著者は各方面にアンテナを張り、ジャーナリスティック的活動を続けるノンフィクション作家。正義のために追及する姿勢は幾多の良い仕事につながっている。
 関心に応じて様々な話題がこの本でも展開されているが、最初は「ケータイ」である。私もそうだなと思うあたりのことを、情熱的に指摘する。授乳しながらケータイを操作しているなど、虐待だ、と叫ぶあたり、センセーショナルな気がしないでもないが、そういうふうにでも言わなければ、そのことは当然としか意識されていないことになる。何かおかしいのかな、と思わせるためだけにでも、かなりはっきり言わなければ、伝わらないのが世情である。
 ただ、気になったのが、そのケータイ論で、電波の危険を指摘している点。いや、危険だと思うのは著者だけではなく、私も実はそうである。しかし、この電波の危険度については、様々な調査がある。もちろんケータイ擁護派によるデータもあるわけで、すべてのデータが公平かどうかは分からない。それでも、危険度を確認する実験は、著者も指摘しているように不可能なわけで、場合によっては、危険であるデータなどない、ということで逆に、押し切られる可能性もあるわけである。危険という指摘は、データによる確定なしには、むしろ弱い根拠となってしまうかもしれない。
 ソフトバンクの孫氏が本音を漏らしたことを拍手喝采しているのは、当然揶揄であるけれども、特定の業種が政府と手を結ぶことは普通に行われることなのであって、危険度のデータなど、如何様にでも書き換えることができる。そんなことにはブレーキがかかるはずだ、と思う人がいるかもしれないが、もしそうなら、公害や偽装問題など、起こることはなかったであろう。
 著者はその他にも有意義なレポートと評論を展開している。が、私の心に特に残ったのは、「劇的に訪れる 生きなおす力」と「悔悛と赦し 気づきの瞬間」であった。これらはどちらも犯罪被害者の視点が主役のようなものであったが、前者では、死を超え、苦しみの意味を問う姿勢に惹かれたし、後者では、アーミッシュの赦しについての信じられないようなレポートが心を打った。そして、死刑制度の賛否はいろいろあるだろうが、死刑判決があってからこそ、真に生きることができるという内容に、深く考え入った。ここは、すばらしい視点であったと思う。
 死と向き合って初めて、生きることができる。簡単な原理だ。だが、それを知るために人を殺めるということまでする必要はない。信仰の世界は、人を殺めたという自覚を、バーチャルにやってしまうことであったのかもしれない。
 やはり、ノンフィクション作家として、プロである。こうした仕事に、少しばかり憧れてしまう。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system