本

『生き心地の良い町』

ホンとの本

『生き心地の良い町』
岡檀
講談社
\1470
2013.7.

 なんとも不安定なタイトルである。言葉遣いはそれでいいのか、という気にもなる。それに、何を言いたいのか分かりづらい。だがそのもやもやは、サブタイトルを見るとだいぶ解消される。「この自殺率の低さには理由がある」と書かれている。
 四国徳島のある町は、周囲の自治体と比べて、有意味に自殺率が低いのだという。もとより、自殺率の低さだけなら、もっと低い自治体はあるのだが、その殆どが島であり、何か島という風土での条件や事情が関わってくる可能性があるのだが、この海部町というところは、隣り合う区域のある陸地のその箇所だけが、飛び抜けて低いのだという。それには何かある、と睨んだ著者は、学生時代に、その誰も注目しなかった町にひとり潜入し、現地で多くの人の協力を受けながら、その秘密を明確にしたいと挑んだのだった。
 そう。私たちは普通、思う。自殺の問題を考えるとき、その自殺率の高いところ、危険なところをよく調べて、自殺への原因を知り、それを防ぐことをまず考えることであろう。だが、著者は違った。有意味に、自殺率の低いところを調べて、それを防ぐことを考えたいというのだった。
 本書は、学生の立場で探っていくドキュメンタリータッチも交え、読む立場を厭きさせない工夫がなされている。あるいは、計算ずくでなくそれを素直にやっているのかもしれない。なかなかの巧みさである。また、仮説を立ててそれを検証していく様子も、じわじわと探る臨場感を伝える役割を果たしている。とにかく、引きこまれるような書き方がなされていて、読んでいて楽しい。
 考えてみれば、話題は自殺という、忌まわしい、あるいは触れたくないような事柄である。家族や知人をそのような形で失った方には、聞くのもおぞましい話題であろうし、こうも次々と自殺のあるなしを綴る本というのは、触れたくない本の一つでもあるだろう。今この文章を目にしておられたら、申し訳なく思う。
 だが、それはそれとして、今読んでいるということは、その方は確かに生きており、この自殺を避けていく生き方が勧められるはずだという前提も成り立つものだろう。その方が立ち上がり歩くためにも、何らかの光ある道筋をこの本が提供してくれるものではないかと期待したい。
 もちろん、万能薬などない。ただ、統計上有意味に自殺が少ない、しかも周辺自治体と比較してそうだということは、注目に値するし、その理由ということには、関心が向けられて然るべきである。
 あまりに結論めいたものはここで記すことを控えたいけれども、この本はその問題に加えて、調査方法そのものについても説明があり、統計調査ということに潜む問題点や注意点を、いろいろ紹介してくれている。これを見ることは、学生として、あるいは社会人や研究員としても、何かしら調査をするということについての示唆を与えられる可能性がある。私も大いに参考になった。
 そんな中で、心に留まったところをご紹介したいと思う。
 本書の178頁のことだが、私たちは、ともすれば尤もらしい説明を欲している点の指摘から始まる。何かしら、それはこういうことだ、という理由を定めて、自らの精神を安心させようと努める。それが真実であるかどうか、それを問題の渦中にある当人の気持ちに添っているかどうか、そんなことは問題でない。不思議な現象や困難を傍から見た立場の見物人が、自分で安心できる理由を発見すれば、自分は落ち着くことができる。東日本大震災でも「絆」と口に出しておけば、それが大切だね、ですべての議論は終わる。それでよかったね、大切にしよう、頑張ろう。「絆」はたしかに流行語としても扱われた。
 だが、そういう「通説」に、筆者は疑問を呈する。ここでも、絆なるものが自殺の予防に大切であることは、一面の真理であるだろうとは言える。しかし、この切り札のような言葉を持ち出せばこれで何かを伝えたり、解決したりするようなことは、実は「思考停止」をしているに過ぎない、と言うのだ。筆者はそれで、そのことを「検証」することに気づいたというのである。
 筆者は言う。「通説にはこれを用いる人々の思考を鈍らせるという副作用がある。それが耳触りのよいメッセージである場合にはさらに用心すべきであることを、肝に銘じておきたいと思っている」と。「耳触り」は、筆者が時折使う言葉で、もちろん元来は「耳障り」であるのだが、これは耳に悪く聞こえるニュアンスだけで用いられるわけで、耳障りがよい、という言葉遣いはない。それを、耳に触れて良い響きがある、という意味でも用いるために、漢字をわざと変更して、「耳触り」という言葉を使っているように見受けられる。
 このことで続いて、「命を大切にする」という、いじめ問題における常套句に、筆者は注意を促す。こう言っておけば安心する、そのための常套句に過ぎず、実のところそうであるのかとうかの検証も何も行われていない、実のところそれがいじめを解消する切り札になど全然なっていないのではないか、という疑問を呈するのである。
 こうしてまた、「幸せ」が自殺を防ぐための要素ではないこと、人生は幸せでなくてもよいのだ、という逆接めいたところに、筆者は流れていく真実の流れを覚えていく。
 海部町では、ひとりひとりの考えが尊重されている。だからまた、ひとりひとりが自分の感じたことをぼろりと明かすことに吝かではない風土ができている。妙な言い方かもしれないが、言論の自由がかなりの程度達成されているのであり、およそ日本を包む言論風土からすれば異色なのである。私は、キリスト教会というものも、かなりの程度そのようなあり方ができている、あるいはそのようなあり方を求めており、求められているような気がしてならなかった。中には、もちろんそうでない教会もあろう。しかし、少しでもそうでないものの理想形態を知るということは、やはり「生き心地の良い」ところであるとは言えるような気がする。
 おそらく本書を読んだクリスチャンの皆さんは、この私が言いたいようなことを、うっすらお感じではないかと思われる。クリスチャンや牧会者の目に一度触れて欲しい本だと感じている。




Takapan
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