本

『医学への招待』

ホンとの本

『医学への招待』
川喜多愛郎
日本看護協会出版会
\1835
1990.3.

 もう20年以上も前の出版であるから、はたして今入手可能なのかどうか分からない。中古品では経路はあるようだ。実際私も、古書店の棚に見出した。いや、そこは実はマンガやアニメの宝庫である店で、そこにごくわずか紛れこんでしまった仕方なしの一般書の中の一冊なのであった。学生街でもあるので、学生の有していたこうした本も引き取っていたのだろう。価格も税込み100円。これでけっこう厚い医学書が読めるのだから、ありがたかった。
 医学書とはいえ、副題に「生命・病気・医療」という文字が掲げられ、いうなれば医学哲学のような論じ方がしてあるものである。本の内容は、一連の講演を文書化したものである。看護研修学校における講義記録を土台にしており、数年以上の実地経験をもつナースのために、看護学と結びつく事柄としての医学の観点を根底から問い直すかのように持ちかけるという具合であった。だから、そもそも生命とは、病気とは、といった問い方がなされており、それらをさも周知の事実の如く前提してテクニックを披露するのではなくて、医療に関わる者が立つべき地盤のようなところを確認しながら、最先端の研究や現場を理解していこうとするものだと言ってよい。
 現場で数年、というところがいい。何も経験のないままに理論ばかり振りかざしてもいけない。また、何十年と現場でやってきて、自分なりの医学感ができあがってしまっているという状態でもない。一定の経験を経て、自分の学んできたこととの食い違いや問い直しをまさに今感じている若いナースが相手であり、そこからまたいわば地固めをして、自分がこれからやっていく仕事の基盤を確かなものにしていく必要を覚えている時期なのであろう。それは、どんな仕事でもそうである。ただ、生命を扱う以上、安易な失敗は許されない。人にとりかけがえのない人生に関わり、取り返しのつかない影響を及ぼすからである。
 さて、相手は医学を学び、実践しているナースたちである。素人の私が読むと、医学的知識には到底ついていけるものではない。専門的な話も途中にある。生命現象を振り返る場面は、さっぱり分からないと言うべきものがあった。ただ、おぼろげながら、高校で学んだ生物の知識はそのときに重なってくることを感じたので、高校の学習というものは、何をするにしても基礎となる大切なことなのだということがよく分かった。高校の生物を学ぶ人は、やはり心してそれらを吸収しておくべきなのだ。
 それはそうと、著者の医学観が包み隠さず述べられており、またその述べ方も実に謙虚である。謙虚であるが、思うところははっきり述べ、しかもそれを押しつけないという姿勢が実によく出ている。だから、ちょっとした言葉の言い回しでさえ、こういう言い方をすると関係者には不愉快に聞こえるかもしれないが敢えて使わせて戴く、というように触れて、慎重に必要な言葉を選んでいく。また、現在の医学の現場における問題点を指摘することもどんどんするにしても、現場で働いている医療従事者への労いや尊敬の思いを決して忘れることなく、また患者の立場にも身を置いて、実に心のこもった語りが続いていくという印象である。従って、医療関係者はもちろんのこと、病気を通じて医学と正面に向かい合った患者が読んでも、大変に有用な内容となっている。そう。患者としても、病気を治すということが希望ではあるにしても、実際治るまではその病気とつきあっていく時間が長くかかることになる。そのときの心情にまで配慮が行きとどいているのである。
 著者は、医学史に造詣が深い。その道のプロである。だから、古代ギリシアなど、分かっている限りの医学に対する人類の思想を踏まえており、それらを最初に紹介する。また、必要に応じて随所でそれに触れる。血液型が確かなものとして発見されてからも、この本が書かれた時点で百年と経っていないなど、私たちが今享受し当たり前だと見なしているような医学の常識が、人類にとりごくごく最近のことでしかない場合が多いことに改めて驚く。中世の瀉血などは聞き知っていたが、病気というものに対する考え方一つとっても、ほんとうにわずかな間に大きく変わってきていることが、この本を読み進むと歴然としてくる。
 そもそも生命とは、というバクテリアなどの話から掘り起こされもするし、エネルギーを得る生命活動の基本的な化学回路の復習はあたりまえのことであり、遺伝やDNAといった、つい最近判明した事柄もきちんと踏まえられ、およそ医学に何ができるのだろうかということを常に問い直しながら一歩一歩、生命の森に足を踏み入れていくような歩みがこの本とともに経験されていく。
 しかも、それらを理解するのに極めて分かりやすい言葉で説く。「ひたすらに生きる・たくみに生きる・わきまえて生きる・よく生きる」という展開の意味は、ぜひ本書の中で出会って戴きたい事柄なのであるが、これらの言葉の列の中に、著者の生命観と人間観が実によく象徴されていると感じさせてくれる。
 そして私にとり惹かれた別の理由の一つは、著者がおそらくクリスチャンだということを感じるからである。正しく聖書を理解して、聖書の思想を時折紹介しながら比較して述べるところがしばしばあるのだ。西洋医学の歴史を示す中で、聖書に触れて解説するということは、当然ありうることである。だが、その引用や捉え方が実に的確であり、これは聖書の神と共に生きるような人でなければ難しいというような表現がとられていると私は感じた。人への手厚い配慮や、生命を鋭く、しかし愛をもって見つめるその眼差しがこの本には溢れているのだが、こうした背景から、たしかにそうだろうと十分納得できるものなのであった。
 百円で出会ったということは申し訳ないのだが、大きな感動と、生命についての深い洞察を与えられて、実にありがたいと思うものである。生命倫理という言葉はあるが、医学哲学という言葉は、思いのほかポピュラーではない。もちろんそれはあるのであって、医学哲学の学会も活動している。ただ、それはどうしても「倫理」とペアで使われる蛍光がある。確かにやはり今のところ、それは「倫理」としての問題とつねに表裏一体で捉えられるしか必要が感じられていないのだ。だが、私は、この著者が掘り下げていっているように、生命とは何か、というところに的を絞って問い直すような基礎付けを怠りながら、表面上の責任とか倫理とかいうレベルでの議論を急いでばかりいなくてよいと感じる。
 そもそも生命とは何か。だからまた、そもそも医療とは何をすることなのか。人との関係に基づく議論ばかりでなく、神の創造のような次元から基礎付けていく営みを、すでに召された著者の思いを継いで、若い世代が試みていく必要があるのではないだろうか。なかなか類書のない、貴重な本であるだけに、復刊して戴きたい一冊であると考えている。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system