本

『発達障害の子どもたち』

ホンとの本

『発達障害の子どもたち』
杉山登志郎
講談社現代新書1922
\756
2007.12

 まだ五十代の若さにして(五十代だからこそ?)、医長から教授、センター長や理事など立派な経歴をもっている肩書きからして、もしかすると建前論に終わっているとか、あるいは、通り一遍の解説で無難に本を作っているとか、そんな可能性を頭に置いて本を開いた。
 ところが、臨床の記事がふんだんにあり、現場の状況を、あまり感情的にならず、読者にとっては読みやすいスタイルで、的確に伝えてくる様子が、目に留まった。
 そもそも最初から、世の常識的見解を並べて、それが現実的に正しいとは言えない面があることをこの本で紹介しよう、という明確な指針が打ち出されていた。常識は違う、と言い切っているのでもない。だから、センセーショナル狙いではなくて、事実を語ろうという誠実さを私は感じた。
 いや、それにもまして、大胆な意見がズバッと投げかけられているではないか。あまりここでそのことだけを取り上げると、誤解を招くかもしれないが、なんとしてもわが子を授かろうと願う気持ちを重んじつつも、そこに現実的に、発達などの障害のある子を産む可能性の増大をはっきりと示している。これは、人の感情を慮るならば、口に出しにくい意見である。しかし、感情的に語るよりは、事実としてどうなのか、ということを、この本は優先している。それでいて、それは一つの意見である、という節度も弁えている。難しい問題の議論をするときに、見習いたい姿勢だと感じた。
 また、最近とみに持ち出される、「障害」という言葉。たんに「害みたいだから」という感情でものを言うのとは違っていた。それは違う文化であるようなもので、正常とか異常とか言えない場合がある事実を鑑みて、よい言葉がなかなか見つからないが、たとえば「失調」と言い換えるのはどうだろう、と提言していた。コントロールが利かなくなっていることを表すなら、たしかにそれは理に適っているように思えた。ただ、よけいな混乱を招かないために、この本では「障害」という通常の表現を保っており、本の題名にも用いてある。言葉の見かけの問題でなく、内容を問う人の姿勢であろう。
 境界知能の問題から自閉症という文化、アスペルガー問題にADHD、虐待を発達障害から捉え、養護学校や教育などの問題を多様な角度から光を当てて検証していた。この薄い新書の中に、よくぞこうまで厚みのある見方を展開してきていたのだ、と今改めて感心する。最後には、薬について専門的な説明も交え、それがどう必要であるのかを説いていた。
 必ずしも分かりやすいのかどうか分からないが、私には分かりやすい書き方がつねに心がけてあるように感じられた。
 発達障害に対しては、その治療に誤解や偏見が伴いやすい。それが最大の問題である、とも最後に告げられている。この本は、ひたすらその誤解を解くために、多忙な中で書かれたものだとも言える。評論家でなく、現場の症例と戦っている専門家による好著である。その道の関係者のみならず、私はたとえば、教会学校の教師も一読して学んでおくべきことが多いように感じられたのだが、如何だろうか。




Takapan
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