本

『手話讃美』

ホンとの本

『手話讃美』
高橋潔
川淵依子編集
地方・小出版流通センター
\2600+
2000.10.

 副題にある「手話を守り抜いた高橋潔の信念」が、内容のほぼすべてを語っている。川淵依子さんは高橋潔の養女。この本には、なかなか他では出てこない、高橋潔本人の文章や、それを取り巻く人々の寄稿、さらに娘としての川淵さんの手による父親の思い出などが集められている。この本は、生誕110年という区切りを記念して出版された。
 私は、電子書籍で読んだ。これだと、半分くらいの額で買える。セールを狙えばさらに安価でも可能だ。電子書籍を求める場合、ページをそのままの画像のようにして取り入れられているため、文章だけの独立した編集が苦手であるようだということに触れておこう。スマホだと、文字が小さくなるため、解像度の高い画面が求められる。
 それはそうとして、高橋潔という人についても、私はろう者とお話ができるようになってから初めて知ったわけで、一般に知れ渡っている人物ではないと思われるので、多少なりとも紹介をしなければならないであろう。
 生まれは仙台。武士の家の出ではあるが、西洋音楽に憧れ留学を夢見るが家計の理由から断念し、東北学院院長の勧めから、大阪盲唖学校に入る。これが十年後には校長となるのだから、昔の制度の何か力というものを感じるような思いがする。手話がまだ「手真似」と呼ばれていた時代、学校では手話を使うことが恥ずかしいことのように思われていた。ろう学校であっても、手話は使われなかった時代なのだ。それどころか、やがて鳩山一郎文部大臣により、ろう教育は口話教育一本で行くべきであるように決められたようなものとなり、高橋校長は懸命に、手話の必要性を説いてまわった。しかし、ますます口話一辺倒になっていく歴史の中で、独自の手話路線を貫き、大阪城はいつ落城するか、とせせら笑われていたという。
 高橋自身、教職の中からろう者と触れあい、手話を理解していったのであるが、ろう者に寄り添う中で、手話は決してただのゼスチュアや不確かなサインなどではなく、ろう社会において有用な、いや必要な、コミュニケーションの手段であることを見抜いていた。文字通り、そのために立ち上がり、命を懸けたのであった。
 学校の後輩であった大曽根源助をアメリカに派遣し、ヘレン・ケラーとの出会いがあるなどし、現在の指文字を導入した人でもある。
 高橋潔は、教育者であった。当時、教育が行きとどかぬろうの子どもが不健全に育つような社会的環境がある中で、教育の必要性と、そのために手話が必要なことを力説した。かといって、とにかくすべてが手話だという主張なのではない。ろう者といっても、個人により、聴覚の程度に違いがある。いくらかでも聞こえている子の場合、口話教育を勧める場合もあったという。また、心を育てるために、宗教心が必要であるという信念をもち、学校職員もまた、何らかの信仰をもっていることを必須条件とするなどした。
 高橋潔自身は、クリスチャンとしての信仰をもっていた。その信仰が、四面楚歌の中でも真実を貫き歩ませてくれたのだろうと思う。しかし、その信仰を子どもや人に押しつけるようなことはしなかった。ただ、信仰心が人間には必要だということは堅く信じていた。その背景には、妻が寺の出身であることもあろうかと思う。しかも、布教に関するひとかどの人物であったというから、普通なら考えにくい夫婦なのであるが、その中で愛し合ったのだった。子を亡くすなどの不幸から、養女として依子さんを育てる。昔はこのようなことは普通にあることだった。結局この依子さんは、浄土真宗関係に進み、手話を受け継ぎ、こうして父親のことを世に知らしめる働きを続けることとなった。
 多くの人に慕われたことも、寄稿から分かる。また、ろう者のことを理解してもらおうという、あるいはろう者の心を表そうとした、劇の台本なども掲載されている。その意味では、どこか文集のような色彩を帯びている本であるが、それでよかったとも思う。その人となりが、どのページを開いても現れてくる。きっと依子さんも、そのような本を作りたかったはずだ。
 とにかく、手話と教育についていくらかでも考えたり述べたりする場合には、高橋潔を知らないでは済まされない。そして、高橋潔を知るためには、この本の証言することは、実に参考になる。できれば、山本おさむさんによるマンガ『わが指のオーケストラ』に触れてから、本書に入ると、書かれてあることがよく分かるであろう。本書から初めて触れるときには、人物像が組み立てにくいと思われる。しかし、昔の写真がふんだんに含まれており、これを見ているだけども、なんだかじんときてしまう。一人一人の人生が、高橋潔により豊かにされたのだ。教育とはこういうものなのか、と感慨深いものである。




Takapan
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