本

『ホスピスでの語らいから』

ホンとの本

『ホスピスでの語らいから』
森山健也
いのちのことば社
\1200+
2001.11.

 福岡には、全国にも誇れるホスピスがある。
 日本でのホスピスは、大阪の淀川キリスト教病院を嚆矢とするが、福岡の栄光病院も地元では信頼篤いホスピスである。もちろん、キリスト教に基づくケアであるが、著者は、ここでのチャプレンを長く務めた牧師である。
 チャプレンとは、ここでは病院における精神的ケアのために働く牧師などのことを指す立場である。著者は、福岡市の教会の牧師でもあるとともに、週に一度を基準に、栄光病院で患者の魂のために務めていたのだという。
 そこで触れあったひとりひとりのことを思い起こしながら、あるいは現在語り合っている方のことを、小さなブックレットの連載記事として綴っていたものを、ここでまとめた、という本である。さらに、教会における、いのちや死などについての説教を付加しているために、実録ルポだけでなく、神学的な背景や聖書の告げていることなどが立体的に届けられることとなった。良い構成である。
 それにしても、最初からずっと並べられる、実際に触れあった方々との交流、その語らいというものの、なんと真実なことか。多くは、天に召された方々であるのは当然である。また、そのとき存命中であっても、やがて旅立たれた方が殆どすべてであろう。初めから信仰をもっていたという人もいるが、全くそれらとは関係なしにこの病院に来て、そして牧師との語らいの中から心を開いて聖書の言葉を受け容れ、信仰を抱いてこの世での務めを終えたという例もあり、読者の感動を呼ぶ。
 もちろん、きれい事ばかりではないかもしれない。だが、牧師の人柄にもよるのだろう、またそのように接しているせいもあろう。患者の言葉を聴くという姿勢の中で、だんだんと心が開かれていく。そして、心が開かれると、そこに神の愛が注ぎ込まれるというのも事実である。死を前にしての闘いがあるのは確かだろうが、しだいに平安が与えられていく様子も描かれる。
 時はあっという間に流れるかもしれない。だが、充実した時を迎えるとき、そのひとつひとつに意味が加わり、濃いもの、あるいは長いものを覚えることがあるだろう。この後、永遠のいのちを戴くという、その瀬戸際での語らいの中に、なんと深く濃いものがあることだろう。
 しかしここには、公開するにあたり、プライバシーの問題も入る。著述には慎重でなければならない。驚いたのは、そのイニシャルである。普通、たとえば「田中さん」であれば「Tさん」のように記す。だが、ホスピスという、ある意味で狭い社会での出来事の公開である。それでさえ、人物特定のために強く影響すると思われたのか、本書では、最初から並べられた文章に従い、登場する順番に、Aさん、Bさん、Cさん……で表されている。これだと、よほどその人の人生に強く関わっている人でない限り、どれが誰の体験であるのか分からないと言える。そこまで配慮された編集になっているのだ。もちろん、これで読者の感動が減ずるということはないわけだから、このような表現で悪いはずがない。なるほどと思えた。
 終わりに掲載された、死や葬儀などの話を交えた復活の説教原稿が、またいい。牧師自身の体験がそこに描かれているが、奥様が、あっという間に病で亡くなったのである。そして、それから間もない出版なのである。しばし説教でも涙ぐむこともあったであろう。その中での信仰の言葉、神の恵みのメッセージが、深く読者の心にも入り込んでくる。
 入手しづらくなっている本であると思うが、古書もインターネットで確認される。福岡にはすばらしい牧師がいる。いのちのための厚い祈りがある。この本は、間違いなく、それを証ししている。




Takapan
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