本

『ひつじが丘』

ホンとの本

『ひつじが丘』
三浦綾子
小学館
\540
2012.10.

 電子書籍から読んだ。人気作家でもあるし、今なお書店には文庫本が定番として並んでいる。また、高校生などの読書感想文に選ばれる本が多いし、感想文コンクールで上位に入賞する作文にもよく取り上げられる作家である。それだけ、真摯に人生を問うているというせいなのだろうか。はっきりと信仰や聖書が入ってくることがあるが、それが感情的な妨げになってしまう人は別として、若い人々の心にも、ぐいと入ってくるものが確かにあると言えるだろう。
 ただ、今回の『ひつじが丘』は、高校生が読むには刺激的であろうか。いや、今の高校生ならばどうということはないかもしれないが、逆に、半世紀前の高校生がどういうあり方であったのか、を見ると、違和感を覚えるかもしれない。この時代的なギャップが、心理的に入っていけない原因となる可能性もある。まず、話し方しそのものが現代とあまりに違う。だが、確かに当時女性がそういう話し方をしていたのは確かである。また、家庭の中で女学生がどういう位置を占めていたのか、そんなことも興味深いが、おそらく当時にはあたりまえの風景が書いてあるのではないだろうか。
 最初に主人公が出てきたというふうに思われるが、途中から怪しくなる。いったいこの話は誰が主役であるのか、それが進展しても分からない。そしてそれが面白い。話は神の視点で描かれ、しかもその心理までも問い直したり呟いたりしているので、はっきりとこの人こそ主人公だ、と決めにくいのである。
 物語についてここで明らかにするわけにはゆかない。ただ、聖書が重要な導きをしていることは確かである。というより、著者は必ず、聖書を軸にストーリーを設けていることが分かりやすいので、意図を汲みとることは困難ではない。
 それでも、先がどうなるのか、は予想しづらい。サスペンスというのは大袈裟だが、そこからどうなっていくのか、ひとりの女性の運命を負いながら、分からなくなってくる。確かに著者が、ストーリーテラーとして定評があるだけのことはある。登場人物が限られた狭い世界の話であり、独語を描いてやたらと心理描写が事細かに刻まれているので、現代風の、あっさり行動し事件が立て続けに起こる物語に慣れている読者には、もたもたしているような気がするかもしれないが、これほどに人間心理を抉って描く作家が、今は少なくなってしまった。ひとつひとつの行為の中に、心理を問い、描き、また、人間とはどういうものであるのかという世界観も盛り込んでいくというのは、作家の力量というものにもよるのであろう。人間の心を隅々までスプーンでかすりとるような言葉の迫りという点では、三浦綾子を超えるひとが果たしているだろうか、とすら思われる。人間の罪について、長い入院生活の中でとこてん考え抜いた著者である。ひとつの行為の背後に戦う様々な心理を細かく描くことなど、案外容易なものであるのかもしれない。
 懸賞のデビュー作『氷点』に続く作品として、決して期待はずれに終わらないだけのスリルももつ。タイトルの丘は、平仮名かどうかは別として、北海道に実在する風景なのだそうだが、最後の最後まで、それは物語に出て来ない。いよいよもったいをつけて出てきた場面も、ほんの一瞬である。それだけに、そこに作者が秘めた象徴の意味をあれこれ考えてみるの一案である。また、それを悟るためには、どうしても聖書にとり羊とは何であるのか、そこを重ねる必要がある。欧米には、聖書文化を知らないと味わえない文学作品はいくらでもあるが、日本にも、それがここにあると言えるかもしれいな。
 読後も、私の中に、幾人かの人間の心理が渦巻いて闘っている。そんな本となるものである。




Takapan
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