本

『被災地の日常から』

ホンとの本

『被災地の日常から』
川上直哉
ヨベル新書047
\1000+
2018.3.11

 初版の発行日が3月11日であることには思い入れがあるはず。仙台の教会で務めて来た牧師が、学校を中心にして語ってきた比較的短いメッセージを集めた新書である。それを、11月からの一年の中で各季節を意識しながら、月ごとという形で並べた。歳時記が教会暦を含む形で配置されたようになった。
 牧師と単純に呼べない立場ではあるのだが、およそそうした職務だと言ってよいだろうと思う。宮城の様々な運動や団体と関わり、いまも放射能関係の営みに加わるなど、東日本大震災の被災者のために様々な方面から援助を惜しまない。
 本書は、東北ヘルプ事務局長という立場でまとめている。神のもとにある人間として、この震災をどのように見ればよいのか。問わざるをえないが、問うばかりで答えるあてがない。時に、問うことでさえ心に引っかかるであろう。自分は何をしているのか、何ができるのか、などと。しかし、遠方であるとはいえ九州から何もできない私のような者から見ると、果てしなく自らを献げる活動をしている方々の一人であることは間違いない。
 いまここで何ができるか。それを確かなものにするためには、神学があって然るべきだ。神学は神学でも、現場の神学である、そう著者は言う。震災から7年を数え、復興の動きは実際ある。だがその中に、取り残される人々というものも確かにいる。そこから目を逸らし、手を引くことで、心の安定を図るかのような社会の多くの人々に、聖書に真摯に向き合うことで、もっと何か質の異なる、復興があるのではないか。援助者が逆に被災者に助けられたり癒されたりすることすらあるという中で、それでも打ちひしがれたところから立ち直れないような人々に、何かができるかもしれない、との希望を、私たちは捨てたくはないものだと思う。
 公教育の場で語る時、チャペル形式の場で語られていることもあるわけだが、信仰の話や聖書の教義をここで告げようとしてはいないように見受けられる。聖書のバックボーンに支えられて、被災者にできるだけ近い立場や視点をとり、しかし上からの知恵が与えられているという構造の中で、若い世代に届く言葉を選んで語るという試みであると言えるだろう。
 教会の説教集を読み慣れた目から見れば、甘い内容や関わり方であるかもしれない。信仰に踏み込まないこともあるし、あまりにも日常や世俗のことを大きく取り上げているとみえることがあるかもしれない。しかし、だからこそ、これは通例説教で扱われない入口を具えているとも言えるし、特に若い人が集まる教会であれば、あるいは若い人たちの集いで語る機会があるとすれば、ひとつの挑戦としても学ぶところがあるのではないか。いやいや、説教たるもには……という考え方もあるだろうが、このようなアプローチはこれまでそう多くはない、また多くないタイプであるように見える。その意味でも、著者の試みは、広く検討されて然るべきではないかと思われる。
 但し、被災という背景は、やはりどこからも消えることがない。だから、被災地でないところにいる者にとっては、被災地の生の姿を、もっと知ろうと近づいていくための窓になりうる本となっている。薄い本である。失礼かもしれない言い方をすると、軽く読める。だが、それ故にまた、背後にある重さを見出していく想像力が、読者には求められているのであろう。ここから、また新しく道が始まるために。




Takapan
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