本

『ヒルコ』

ホンとの本

『ヒルコ』
戸矢学
河出書房新社
\1680
2010.9.

 いわゆる日本神話については、子どものころから本で読んで知っていた。それで後にも幾らか原典に当たってみるということもしたものだから、私は門外漢としては、いくらか内容を知っている者のうちに数えられるかもしれない。
 だが、そのことと、この神話の背後に隠されたものを見抜くということとは、全く別の事柄である。
 たしかに、聖書でも、この話の背景にはこういうことがあって、またこういうことを伝えたいために創られたのではないか、というような議論がある。だが、古事記と日本書紀という中にも、そういう事情があったということは、考えてみれば当然すぎることであるのに、実のところなかなか分からないもののようである。
 本のタイトルは「ヒルコ」。これは、国生みの話の中にちらりとだけ現れてそれっきり現れない、謎のエピソードの主役である。なにしろ女が先に声をかけてから生んだので、できそこなったというような具合である。そのまま流されてしまうのだ。これは由々しきことである。
 なんとなく登場するにしては意味深である。何か流さなければならない理由があったのではないか。そして、その背景にある事件が控えていて、それを暗に仄めかしているのではないか。本の筆者は、その謎に挑もうとする。
 もとより素人ではない。國學院大学の神道学科卒業というから、筋金入りである。その方面の文献には当たりまくっているはずである。また、本を見ていると、各地の神社を尋ね、フィールドワークの経験も豊かなようである。神話では有名であっても、境内の中にぽつんとあるような社でしか祀られていないという例もたくさんあるようだ。そうした全国の神社の数も随所でカウントしていて、説得力をもたせている。
 さて、ヒルコとは何ものか。筆者の見解は、スサノオと関係がある。また、その背後には飛鳥時代の豪族などの立場や思惑も隠れていそうである。そもそも歴史は、権力の勝者が自己を基礎づけるため、あるいは正当化するために編纂されるのが通例である。遺された歴史が正義となり、真実として伝わる。そうでない歴史は絶滅されるのが世の常である。今私たちに伝わるこの神話は、歴史がどう遺されるかを如実に物語っていると言えるかもしれない。
 私のような者には、その真偽のほどは分からない。現代からの視点でいろいろ述べることはできるかもしれないが、古代の眼差しとして捉えることは、やはり難しいこと極まりない。専門家から見るとどうなのだろうか。空想好きな研究者が小説まがいなものとして見解を下すことはあるのだろうが、それはすでにもう小説ではなく現実なのだと自分の胸に言い聞かせているような存在でなければならない。読者が、知的な推理にワクワクするような試みも、読者のためには必要であると言えるかもしれない。これは書き下ろしの本であり、限られた紙数でこなさなければならない事情もあったことだろう。しかし、可能ならばもう少し原典のあらすじなどを紹介してくれたら、もっと一読で内容を掴みやすかったと言えるのではないだろうか。
 このヒルコ、蛭子と称するのだが、どこかにその字の苗字があったはずだ。エビスである。ところがエビスは日本神話の神の名である。こうしたところからも、ある事柄についての根拠として利用されうるものである。
 まだまだ謎の多い古代である。その中に育まれた日本人の習性のようなものが、今実は頭をもたげているのかもしれない。古代人の遺したメッセージは、そう簡単には解けないだろう。それとも、頭の固い私たちの惨めさがそこに表されているのだうろか。知的なアドベンチャーが楽しめる一冊であった。




Takapan
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