本

『高校生の居場所のつくり方』

ホンとの本

『高校生の居場所のつくり方』
中尾祐子
いのちのことば社
\1400+
2015.9.

 hi-b.a.という名前は、私も最近まで知らなかったが、もう半世紀の歴史がある団体なのだそうだ。知らないと思ったら、これがつい最近、初めて九州に入ってきたということで、関東から始まり、じわじわと拡がってきたのだという。しかし、京都でも歴史があるようで、私もそこにいたのに、若い世代の出来事に如何に関わっていなかったのかということを突きつけられたようで、少し凹んだ。
 高校生に福音を伝えるグループである。超教派だというと恰好がいいが、どうかすると、高校生だけ集めて何をしているか、あまり教会でも歓迎されていない場合もあるようだ。若い人を集めるために、と声をかけられても、いざ若い人が来るようになったら、教会がうるさくなった、と嫌がられた例もあるという。全く、大人の身勝手である。
 高校生など、まだ若い人々は、経験が少ないせいもあるし、どのように自分の気持ちや状況を語り告げてよいか分からない場合が多い。でも、言葉にならない叫びもあるし、時にその言葉を代弁してくれる大人や先輩がいたら、大いに共感する。また、実際何か言葉をかけてもらえないことも多く、何か言われたときに、初めて理解できたり、コミュニケーションがとれるようになったりすることもあるだろう。
 では、その高校生世代を、教会にどのように受け容れるのか。先に『若者と生きる教会』という本をご紹介したが、そちらよりこちらがより狭く、高校生に的を絞った形で動いている故、よりその世代の特徴などが鮮明に描き出されてくるように見える。
 高齢化した教会も、そのまま役割を終えていくということで満足できるものがあるかもしれない。いちがいに、すべての教会が若者を受け容れるべきだとは私は言わない。やがてすべての人が年老いて、この世から姿を消すとき、その教会も役割を終えて消えていく。それもまた、ひとつの歴史である。しかし、信仰の継承を必要とすると考えるならば、若い世代と共に生きる教会を築いていかなければならない。そのためには、若い人々を理解しなければならない。彼らも悩んでいる。いや、彼らこそ、傷ついている。大人たちにより傷つけられている。大人の作った社会の中で、そうなっている。私たちは大人が、そのようにしたのだし、そのような社会を形成してきたのだ。その責任を感じないで、どうして「人を愛する」などと言えるだろう。若者たちは、人ではないのだろうか。
 高校生を理解したい、という大人も多い。だが、どうにも理解できない。ぶつかるのが、大人の側こそが、怖いと思っている。しかし、愛したい、という願いもある。こんな大人の方々のために、この本はある。若い世代のいる教会を望むならば、牧師や伝道師はもちろんのこと、執事や役員などの立場の方々、必読である。教会学校の教師、読まなければもうやっていけないだろう。知らないでは、きっと何もできないであろう。
 キーワードは、タイトルにも使われている「居場所」。これは私も分かる。私もずっと感じていた。教会が自分の居場所であること、それが大切なことだ、と。若者に限らない。この本のタイトルには、「教会」の文字は見えない。だが、結局のところ、教会のことだ。教会に、彼らの「居場所」が、果たしてあるだろうか。なくてよいのだろうか。そんなことから、教会を再び見つめ始めてみてはいかがだろうか。自分はその中で、何をしているだろう。若い人を追い出すようなことをしでかしてはいないだろうか、大人は問い直してみるといい。もし、何かしら、そうかもしれない、と思う誠実さがあったならば、この本を読んで、きっと新しい光が射してくるだろう。救われたときに世界が違って見えたほどではないかもしれないが、新しい見え方がしてくるに違いない。
 きっと、高校生たちを、愛せるようになっていくだろう。




Takapan
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