本

『高校生世代に福音を伝える』

ホンとの本

『高校生世代に福音を伝える』
hi-b.a.高校生聖書伝道協会編
いのちのことば社
\1200+
2011.9.

 副題に「日本hi-b.a.60年の歩み、そして未来へ」とあり、古い写真がアレンジされて表紙を飾っている。「編」の主体の名に見られる「高校生聖書伝道協会」がその謎のhi-b.a.の正体である。また、これを「ハイビーエー」と読むことも決して簡単ではない。この本が、同人誌的な立場に留まっているのは、この閉鎖性にあるように見える。これまでhi-b.a.について知らない人にぜひ知ってもらいたいという意図は感じられず、この関係者が団体の歴史を懐かしむためにつくられたという目的が明らかになっている。
 その意味でも、これは一種の記録書である。記念誌である。高校生に聖書を伝道したという60年間の証しが、凝縮されている。
 とはいえ、本を開いてみると、そういう印象よりもむしろ、高校生へ福音を伝えるというのはどういうことか、どうすればよいか、のようなことが書かれてあるようにさえ見える。高校生へ伝道することが如何に大切であるか、またその役割に就くにはどういう心構えが必要であるか、またどういう人が適しているかという人間像のようなものが説明されていく。新たにこの組織の中の高校生をリードする器を目指す若手メンバーへの呼びかけがここにある。
 しかし、それが全体のページ数からして20%くらいで幕を閉じると、後は、ひたすらhi-b.a.の歴史・歩みに終始することになる。関係者にとってはたまらない足跡であろうと思う。そのために一冊の本を作る、ということもまた、大切な営みである。
 本として、その構成で問題はないのだが、それがこのように一般書として出ているとなると、もう少しサービスがあってもよかったかな、とも思う。それまでhi-b.a.を知らなかった人も手に取る、という事情があるとすれば、いくらか配慮してもよかったのではないか、という気がする。
 そのひとつの例が、そもそもこの「hi-b.a.」の意味である。何と読むかすら、知らない人には分からないままに走り、その読み方が振られるのは、なんと最終頁である。また、それが何を省略している表示なのかということも、その最終頁において初めて証されている。どうせ関係者しか読まないであろうという睨みがここに明示されている。私は、これを最初の頁に掲げるのが、本としての形態ではないかと考える。そもそもの意味や読み方が、推理小説の犯人のように隠されたまま一方的に語られ続けるというのは、適切な方法ではない。
 こうした閉鎖性のゆえに、せっかく開かれた活動のために書かれた本が、もったいないものとなっていることが残念である。
 それはそれとして、60年も経つと、時代状況もずいぶん変わるというのが、見た印象である。かつてはできた文書伝道などが、如何に現在では実現不可能になってしまったか、それを思わせる。世間での事件により、その後そういう活動ができなくなった、というような叙述もちらほら見られた。こうした情報提供はありがたい。隠さず、今なら問題となるような伝道方法がかつて行われていたことをも明らかにするというのは、必要なことであると思うのだ。それが、後生に対するメッセージであり、開かれた情報となっていくのである。
 その通りに、今伝道を再現することはできない。しかし、そのような熱意は十分伝わってくるし、その熱意のない現代の困難さや、自分のあり方の生ぬるさというものを覚えるだけでも、本書の意義は十分にある。その意味でも、一般の、hi-b.a.を知らない人々に訴える力をもつことを、本の制作のときに自信をもって戴きたかったと思う。
 このhi-b.a.の活動は、今も続いている。九州へ、2015年あたりから入り始めた。じわじわとした歩みと拡がりであるかもしれないが、影響を受けた人も多いし、九州の牧会者の中にも、かつて本州のhi-b.a.に参加していた、という例があることも身近に知っている。高校生に特化したのは、KGKよりもなお狭く、エネルギッシュなものを感じるが、祈りにより示されたはたらきには、神は必ず応えてくださる。それだけは確かである。




Takapan
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