本

『アルプスの少女ハイジ』

ホンとの本

『アルプスの少女ハイジ』
ヨハンナ・シュピリ
関泰祐・阿部賀隆訳
角川文庫
\499
2006.7.

 テレビアニメですっかりおなじみになった。あのハイジの姿とストーリーが、あるいはどうかすると杉山佳寿子さんの声が、私たちの「ハイジ」について知りうるすべてである可能性がある。
 だが、原作は違う。
 えてしてそういうことはあるのだが、余りにもアニメとは違うことに、読むと愕然とするだろう。
 同じ頃信仰を与えられた同年代の人がいた。彼は、児童文学を研究していた。そのためにイギリスにまで行ったし、その後もまたイギリスに行ってしまったが、そこから連絡がつかなくなった。彼は、ハイジなどを紹介したあのアニメ劇場についてもやたら詳しかったが、その原作を読み尽くしていたので、それらが信仰の本であることを完全に見通していた。
 私は今、それを味わっている。ようやく、ハイジの原作の、しかも日本語訳を読んだのだ。あまりにも遅すぎることだ。だが、目が開かれた思いがした。この「ハイジ」は、確かに信仰の本であることがひしひしと分かった。アニメについては詳しくないが、おそらく些かも、信仰により導かれていくハイジとその周囲の人々が描かれてはいなかったことだろうと思う。
 ハイジは、願いを神さまにお祈りするといいと聞く。それで熱心に祈る。山に帰りたい、と。だが、なかなかそれは実現しない。ついには神さまはちっとも聞いてやくれないのだと絶望し、病気にさえなる。しかし、そこで教えられる。神は、すぐに何でも聞いてくださるわけではない、もっとすばらしい時が待っているから、その時まで実現しないほうがよいと神さまはご存じなのだ、と。はたして、後に山に戻ることができるようになったとき、かつてよりもっとよいことがたくさん起こった。ハイジは、このときのために神さまはすぐに動いてくれなかったことを知る。
 また、放蕩息子の絵本が気に入ったハイジは、それを、再会したアルムおじいさんに読んで聞かせる。おじいさんは、人を避け、教会にも顔を出さず、ひねくれものとして有名だったが、このハイジの語り聞かせた放蕩息子の絵本により、回心し、教会にも行く。
 クララが歩く場面も、アニメのようなやる気次第というふうなムードは少しもない。すべては神の恵みなのだ。しかも、クララに嫉妬したペーターがクララの車いすを壊すのだが、それはクララが立って歩けるようになることで害なしとなり、また神が心の中にちゃんと見張りを置いておくのだと諭されて、人は神の前に誠実に生きることになるのだという教えが明らかになる。人は、神の前には貧しくつまらないものでしかないのだから、神の力にすがらなければならない、ということも最後のほうで語られる。まったく、教会の説教か日曜学校のお話であるかのようだ。しかも神は、悪いことをも善いことに変えてくださるのだ、という希望がこの物語をしっかりと支えている。
 作者の祖父が牧師であったという。そして五十歳になるまでは作品を発表しないという誓いの中であたためた作品を著して子どもたちのために希望を与える物語を提供した。子どもを失うという悲しみもまた、この物語の中でクララの主治医の悲しみと悲しむように描かれており、それでもなお慰めを神に与えられる信仰がそこに輝いている。
 その作者の告白は、物語の最後にペーターのおばあさんの言葉としてこのように描かれている。「ハイジや、讃美歌を一つ読んでおくれ。わたしは、これから先は、たくさんのお恵みを授けてくださった神さまに感謝することより他には何もないんだからねえ」と。




Takapan
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