本

『現代を問う神』

ホンとの本

『現代を問う神』
寺園喜基・細川道弘・森泰男
ヨルダン社
\1600+
1984.6.

 古書店で出会った本。元の定価だと買えないものでも、値が下がれば読んでみたいと思うものだった。
 キリスト教入門という名前の付く本は、数限りなくあるだろう。だが、どういう人をターゲットに据えているかにより、内容は実に様々である。聖書の「せ」の字も知らない人に説明しようとするものもあれば、「入門」と付けておきながら実に最先端の神学的議論まで引っ張っていくようなものもある。また、聖書とは何か、教会とは何か、いわばありきたりの説明に終始しているものもあれば、著者独自の視点やスタンスから、そういう道もあるかと驚かせるような本もある。著者の信念のようなものを貫く本も見るし、読者になんとか近づこうと労苦している本もある。
 だが、信徒だからと分かっているとも限らない。やはり聖書は深くて広い。自分なりの読み方がいくらできる人であろうと、こうした入門書の中に、必ず、溜息がつくほど教えられる内容と出会うものである。聖書そのものが無限の広さと深さをもっているために、それに、どんな人間も追いつくことはできないのである。
 さて、今回の「現代を問う神」というタイトルは、ユニークな部類に属する。神は、従来のキリスト教の歴史の本そのままに私たちの目の前に聖書を置いたのではなくて、現代に相応しく、現代の私たちに響くものをちゃんと聖書の中に準備しておられ、そこから現代の私たち一人ひとりに呼びかけてくるというのだ。
 その意味で、これは決してただの「入門」ではない。熱いメッセージと生きた問題性を容赦なく突きつけてくる、ひじょうにアクティブな本となった。
 著者は、西南学院大学を中心とした三人の教授であり、寺園喜基先生は西南学院の院長をもこの後務めた。バプテスト派のメンバーだろうと見ていたら、あとがきで、これらがバプテスト連盟の教育教案誌『聖書教育』に2年間にわたり連載された記事を基にまとめられたものであると記されていた。それは「キリスト教基礎講座」という範疇のものであったが、内容は決して軽いものではない。現代的意義を踏まえた、読み応えのあるものとなっている。はたしてキリスト教は、現代に何を語り得るであろうか。そんな問いかけが随所から響いてくる。それはとりもなおさず、神が私たちに問いかけていることにほかならない。私たちは挑戦を受けている。決して、古典の研究としての遺跡めいた聖書趣味であってはならない。いまここにいる自分に、神は何を呼びかけているのか。その問いがなければ、信仰をしても意味がないであろう。
 通り一遍でない問いかけが続く本書は、哲学的思考のようなものを要求しているようにも見える。具体例を並べて考えてもらうというのでなく、かなり抽象的な表現だけで論を進めていく面があるのである。あるいは論文的であるとでも言おうか。かといって引用の注釈があるというほどでもないのだが、若干思考訓練を受けていないと、速やかには読みにくいのではないかと思われる。
 時代的にも、四半世紀を越えて私は手にしたのであり、内容が今現在最先端の議論ということはないのであろうが、この時点での「現代」というものは、決して後の「いま」と無関係に沈殿しているのではないことは分かる。私たちは、このときの問いに決して適切に応えてきたとは言えないのである。一つひとつ解決して次の課題をもたらしているのではなく、依然としてここにある問題は流れ続けている。いや、ある意味で聖書が成立した当時からの問題が、いまだに同様に生起しているのであって、人類はその精神的に領域においては、とても「進化」などを安易に信じることができないほど、同じところをぐるぐる回っているだけなのだ。
 ともかく、200頁ほどの中に、ぎっしりと凝縮した問いが並んでおり、読み応えがある本であった。ラインを引いているので、またぱらぱらとめくってみなければならないと思う。なにしろ「聖書教育」を引っ張ってきた連載なのであるから。




Takapan
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