本

『不可能を証明する』

ホンとの本

『不可能を証明する』
瀬山士郎
青土社
\2310
2010.6.

 専門的な本の部類に入るだろうが、これでもかなり素人向けにまとめた教養本である。しかし、もしも事細かに理解したいとなると、数学的な知識や忍耐が必要であるかもしれない。ただ、考え方の枠組みそのものは、比較的知られたことであるだけに、細かいことを気にしなければ、大いに楽しく読むことができる。
 副題は「現代数学の挑戦」とあるが、分かりにくいサブタイトルであろう。全部読んで振り返ると、なるほどそうなのだ、と思うが、この副題から内容についてイメージするのは、知識がなければ難しい。
 さて、証明というと、数学を学び始めて二年目に、中学二年の教科書で、図形の証明がなされて初めて本気になる学習である。その前に、奇数と奇数の和は偶数になる、ということの説明にも出会うが、大抵の生徒は訳の分からないままにスルーしてしまうことになる。論証とか論理とかいうことがいきなり表舞台に立つのであるが、子どもたちに欠けているのはこういう部分である。いや、日本の大人たちもきっとそうである。
 ここでは、あることを証明せよというのではなく、それが不可能であることを証明せよ、というテーマに絞ってある。これは著者が出版社の人物と自由に語らっているときに出てきた発想であるらしい。それが一定の形をとり、だんだんと高いところまで連れて行ってくれる。
 まずは、そもそも証明とはどういう営みであるのか、そして不可能性の証明という課題を提示する。そこで「背理法」というものを読者の精神に植え付ける。これを用いて、次にルート2の無理数なることを証明する。それくらいは中学の教科書レベルでなんとかなる……はずなのだが、さらに高いレベルの証明も載せられていて、素人の私は唸る。そしてこの営みが、だんだんこの本の中心部へ読者を導いていくことになるのだ。
 すべての角の三等分の不可能性は、ギリシア時代以来の難問であったが、ここで、「作図」という概念の検討がみっちりとなされる。そう、不可能というのは、どういう条件の下でという制限が一意に定められないと、示すことができない性質のものなのである。そして、それさえはっきりすると、作図という事柄が代数的処理で証明できるのだということを読者に分からせていく。
 この後、平行線公理について紹介される。しかし、私の知るかぎりありきたりの啓蒙書におけるそれとは趣を異とする。不可能の証明という、この本のコンセプトがはっきりしているせいか、そのことを訴えるための外堀がだんだんと埋められていくような感覚を伴うのだ。ここで証明が不可能であるという事態に私たちは遭遇することになる。
 次は、筆者の専門であるトポロジーである。あまりにも自明であるようなことをどう証明するのか、これもまた定義を明確にしたあと、エレガントな処理で目の覚めるような解決がなされる。それからポピュラーな、ケーニヒスベルクの橋の問題で楽しませておいて、代数的解が不可能とされる5次方程式の話に入り、対角線論法というエポックを紹介する数え上げの話題に入る。こうして最後に、ゲーデルの不完全性定理へと導かれていくことになる。
 数学の逸話や入門書を楽しんできた人には、聞き慣れた話題が多く登場することで楽しめるだろう。あるいはまた、なんだあれか、と興味を失うかもしれない。だがそれは損である。ここには一つの目的地へ読者をどんどん落とし込んでいこうとする熱心な誘いが存在する。決してエピソードの羅列ではない。どういう目的地に行くのか、そのためにどういう道案内が必要であるのか、筆者は心得ている。まるでそのことを証明するかのように、一つ一つをクリアしながら読者を連れて行ってくれる。
 不可能であることの証明が、自己言及的な命題において顕著になるという一応の結論なのであるが、これは神学的な議論にも使えそうな気がしてきた。いや、十分それはなされているはずだ。しかし私は、そういう点での聖書解釈をもっとするべきだと考えている。聖書の言葉は、自己に言及するときに矛盾を生じるような、つまり自己について自己が述べることを許さないような性質をもつと私は思うのだ。そこにこそ、自己により完成しないという実情が明確になり、神による恵みという構造が立ち現れる。それは、自己言及の外から突然一方的に及んでくるものなのである。
 このように、思わぬところに関与していくのが、この不可能の証明という数学的思考である。筆者も、そういうことを考えているものと思われる。現代数学は、数学としての基礎論が幅広く世界の真理に実のところ適用できるというあり方を大いに推奨している。かつてのニュートン的世界では説明がつかなくなり、別原理の物理が必要となってきたように、従来自己矛盾など説明不可の行き詰まりにあった事柄に、突破口を与えていくことが探求されているのである。




Takapan
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