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『はじめての哲学』

ホンとの本

『はじめての哲学』
竹田青嗣
PHP
\3000+
2014.7.

 楽しい調べ学習シリーズのひとつ。小学生向けの図書館仕様の本である。「賢者たちは何を考えたのか?」というサブタイトルがついている。親しみやすいイラストで、ちょっと手にとってみようかという気持ちになる。その意味でも視覚的要素は重要である。
 聞いたことがあるけど「哲学」とは何か、という子が開くことが求められている。でも、「哲学」にルビがないけれど、読めるだろうか。本文にはふんだんにふりがなが振ってあるので、タイトルのどこかにもふりがながあったらいいのに、とふと思った。
 著者であって、監修者ではない。これはいい。著者は、こうした哲学の考え方を若い人に紹介することについては定評がある。それが今回小学生対象となるとどのようになるのか、楽しみでもあると思った。
 そもそも「哲学ってなんだろう」というところから始まるところが、哲学の哲学たる所以であるかもしれない。しかも、この問いはその場では完結されない。ある意味で、それは入口でもあると同時に、窮極の目的でもあるのかもしれない。まともにぶつけようとすると相手ははぐらかされる思いを抱くことが必定でもあり、子どもに対してどのように考える営みに導く手を差し伸べるのか興味津々であったが、実にうまかった。驚き、そして学んだ。宗教とセットで入ってきた。ではそもそも宗教とは何か、ということも、哲学と似た、あるいはそれ以上に深い問いとなりうるものであるのだが、これとセットにすることにより、なんと明晰になることよ、と驚いたのだ。それから、哲学の謎を三つに絞った。存在・認識・言語である。それが近代の中で科学と関わるようになり、次に、知恵と称してそれを社会・生き方の二つの問いに展開する。他人と意見が違うときにどうするか。これが現代を生きる私たちにとり大きな問題であるというあたりを、著者は強い動機付けに用いつつ、第2部として、歴史上の哲学者たちの思想を紹介し始める。
 見開き2頁の、三分の二以上は絵という構成の中で、哲学者を紹介しまとめていくというのは、至難の業である。そして子どもに対してはこれが必要である。小学生に教えるのは、内容が簡単だと思う人もいるだろうが、実際はそうではない。限られた知識と理解力の持ち主を相手に、そして誰もが考えることが好きだというわけではない中で、膨大な著作と思想の深みをもつ一人の哲学者を知ってもらおうというのだ。実にストイックな表現で、しかも大きく深い理解を著者自身が伴っていないことにはできるものではない。難しいことを易しい言葉で説明するというのは、ほんとうに特殊な能力なのだ。それをこの本では実現している。だから私は学んだというのである。
 もとより、思想内容を理解させようと意図したものではない。この哲学者が一生を懸けて考えたことが、人類史上にどういう意義をもっていたのか、それを悟らせるというふうに見える。
 それでよい。入口としては、これ以上に優れた方法はないかもしれない。カタログのように見せる。いくつもいくつも見ているうちに、だいたいそれらがどういう違いがあるのか、どういう意味があるのか、人間はそこそこ掴んでいくものなのだ。それは子どもでも同じ。抽象的な話に走りがちな議論のひとつひとつに拘泥させず、並べて見せているうちに、何かしら概念把握ができていくというのが、人間に具わった自然の能力である。子どもの中にも、なにがしかがそこにある。ソクラテスではないが、子どもの中から能力を導いて、数学的な真理に到達させることができるように、哲学そのものについてのこのような本を通して、哲学の世界の空気を吸うことをいつの間にかさせている、というようなカラクリではないだろうかと思う。
 構成も粋である。哲学者名は大きな文字である。そこを頭に入れてほしいからだ。その上に、その思想家について知ってもらいたい言葉を10文字前後でズバリと言い切る。ここに色がついている。これだけを頭に入れればもう十分である。哲学者名よりはやや小さいが、大きめの太い文字で、その著書の中の文を一部引用する。子どもでも厭きない程度の長さである。さらにノーマルな大きさで、その内容解説がある。そして、哲学者の短いプロフィールやそのエピソードなどが、一番細かな文字でちりばめられている。どこが重要で頭に入れたいものなのか、また、彩りを添える知識はどれなのか、頁毎に配置の違う欠点を補う、実によい方法である。
 はっきり言うが、これくらいのことを大人が皆心得るだけで、世界平和の実現へ、ずいぶん近づくのではないかと私は考える。大人こそ、これくらいのことを知っていてほしい。
 フランスのように、こうした知識がないと大学に入れない、というような制度が望ましい。日本人は、ついに哲学ないし宗教とは何かについて何一つ知らずに社会に出て大人として振る舞うことのできる、世界的にも稀な大学制度をもっている。これが、カルト宗教なり特定のイデオロギーなりにのめりこみ、自らを真理と主張するようになる、ひとつの理由であるように思えてならないのだ。信仰をもつ・もたない、ということではない。信仰とは何か、哲学とは何か、一定の思索経験が望ましく、また、それだからこそ他国や他人の考え方や宗教を理解する道が始まるものであろう。
 大人もまた、「はじめての哲学」を経験してもらいたい。そのためには、一読で呑み込め、さしあたり適切であり、必要があればそこから深まって次に何を読めばよいのか、考えればよいのか、その道案内がある、こうした本は非常に有益である。「はじめて」触れて戴きたい。




Takapan
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