本

『聖書にみるドラマ』

ホンとの本

『聖書にみるドラマ』
婦人之友
\1575
2012.4.

 実は、1982年発行の本の新版である。30年を経て、復刻したというのである。
 つまりは、それだけの価値が今の社会にあるということなのだろう。
 多くの人の短いエッセイのような原稿が集まっている。ひとつのテーマに深く切り込むことはできないが、多くの色がちりばめられているようで、様々な人との出会いをそこに感じることができる。もし気に入らない部分があったとしても、別の人の文章には唸ったり、膝を打ったりするかもしれない。
 編集は、その筆者が聖書のどの個所を取り上げているかにより、その聖書の個所を旧約聖書のはじめのほうから並ぶようにまとめられている。従って後半は新約聖書だが、こちらは順序というものがないようなものなので、光と神と祈りという三つのおおまかなイメージで分類されている。こうした編集は難しいだろうが、そもそもがこの本はどこからどう読んでも可能なようにできているのだから、読者としては、さしあたり編集者の考えに沿って読めば無難だし、ただもう自分の好きなように好きなところから開いてみてもよいかもしれない。
 それぞれ、ただの学者や研究者であるというよりも、とにかく社会のいろいろな立場や経験をもつひとかどの人が原稿を寄せている。逆に、そうした立場があることから、日頃あまり声の聞かれない分野からの視点を知ることができる楽しみもあると言えるだろう。
 そもそも最初が、宮沢賢治イーハトーブ館長だった方である(執筆者紹介で「イートハーブ」となっているのはご愛敬?)。創世記から、偶像礼拝についての刺激的な視点を紹介してくれたが、たしかに宮沢賢治の考えとつながるものを感じさせていた。私はそれを感じた後で、執筆者の立場が実はそれであることを見て、納得したのだった。
 シュワイツァーの関係者や海外医療協力会の方、詩人などの名前も見える。多くはキリスト者であるが、必ずしもそうとは言えないケースもあり、それでも聖書に向き合っている姿勢が十分伝わってくるものである。
 読みやすさについては、こうしたエッセイ的なものの特質であるから珍しいことではないが、思いのほかひとつひとつの考察が深い。あるいは、その人の人生の重みを感じさせるような重厚な内容となっている。もちろん、神学的な議論をするものではないし、それを紹介するということでもないのだが、そこにつながるようなものが確かにここにはあると言える。その意味でも、これは実に読み応えのある一冊であると言えるだろう。
 ともすれば、あたりさわりのない、神さまを信じましょう的な本がある。かと思えば、自分はどんな体験をしたのか全く隠してしまう偉そうな知識の羅列の本もある。しかしここには、ひとりひとりの真摯な生き方、聖書と対峙して時にもがき、時に頼り、時に泣いて時に喜んだ、そんな筆者個人の信仰や逝き方が色濃く反映されている。そういう意味で、こういうことを「霊とまこと」だと私は感ずるに至った。心から神に向かい、呼びかけていくことの大切さを、改めてひしひしと感じさせてもらった。
 それでいて、ほんとうに読みやすい。この婦人之友社をつくった羽仁もと子自身、無教会の立場だったとはいえ、立派なキリスト者であった。その運動は、今なお一般の女性を含めて、地道ながら確かな灯をこの世に輝かせ続けている。このたびの震災においてもその働きは、あまり取り上げられはしないが、決して小さくはない貴重な働きをなし、また続けている。聖書がわが道の灯になるというのは本当のことだ。聖書にはそれぞれに人に、相応しい仕方で、その時時に光を当てて大切なことを教えてくれる力がある。この本は、そんな力を確信させてくれるものともなっている。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system