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『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』

ホンとの本

『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』
丸山正樹
文春文庫
\650+
2015.8.

 単行本としては2011年7月に発行されており、価格は千円近く高くなる。文庫になったことはありがたいが、なかなか評判がよかったということでもある。
 デフというのは、ろう者という意味である。サブタイトルの「手話通訳士」という言葉で、比較的伝わりやすくなっている。物語を通して、ろう者や手話というものについての知識が、読者にじんわりたっぷりと伝わる内容となっているが、ストーリーそのものはミステリーでもある。謎解きの部分もあるので、特に手話に関心がなかったとしても楽しめる。その辺りの技術もなかなかのものである。
 しかし、著者はこれが最初の小説出版であるというから、さらに驚く。松本清張賞の最終選考で外れたものの、内容が認められて出版されたという話である。それだけの内容であると思う。
 ミステリーであるだけに、鍵に関わる内容をここで紹介していくわけにはゆかない。ある殺人事件でろう者が容疑者とされる中で、離婚もあり失業状態の主人公が、実は手話ができるということで、そのろう者の法廷での手話通訳を担うことになっていく。だが、彼は元警察事務を担当していたのであり、今回の事件が、かつて関わり、また彼の人生を大きく変えた事件につながるものであることを感じ、真実を明かすために動き始める。最終場面では、およそろう者や手話ということが中心にない限りありえないような様子が描かれ、感動を呼ぶ。
 そこかしこに、手話についての解説がなされる。恰も、手話というものを読者に知らしめるかのように。だが、著者はこの手話については、元来直接関わってきたような人ではない。その経緯は、あとがきに書いてある。これも、直に触れて感動して戴きたいと思うので、ここで露骨に記すようなことは避けようと思うが、著者は身近なことをきっかけに、声に出したくても出せないような人々の立場を、なんとか描きたいと思ったのであろう。そして、描いた手話の場面や内容については、私の知る限り確かに信頼のおける、手話についての監修者による助けを得て、的確なものとなっていることが窺える。ろう者の置かれたこれまでの社会的な立場や法律についての理解も、ストーリーをたどれば自然に把握できるようになっており、そのあたりも、巧い。そして、ありがたい。
 ミステリーとしても上質である。どうか、多くの人の目に触れて、ろう者についての理解が拡がるようにと願う。手話言語法が各地で成立しているが、そろそろ国全体でも動いて形になってほしいと願う一方、実は聴覚障碍者のごく一部しか手話というものに頼っていない、使っていないという現実もさらに踏まえて、目先の手話というだけに留まらず、とにかく見た目では聴者と変わらないような姿でありながら実は聞こえない、聞こえにくいという人々に対する理解も、進んでいくようにと願いたい。
 バックするトラックに、視覚障害者が轢かれたという痛ましい事故が今年あった。バック音を鳴らさなかったことが原因である。しかし、それでは音を鳴らせば安心なのかというと、そうではない。その音が分からない人々が、少なからずいるわけである。車の運転では、「だろう運転」どはなく「かもしれない運転」が必要だ、と教習所では教えられる。聞こえていない人などいない「だろう」というのが、社会の通常の流れである。しかし、その場に、目の前や周辺に、聞こえない人がいる「かもしれない」という思いを誰もが抱くならば、世界はそれまでと違う色に染まっていくことであろう。
 良い作品を出してくださった。そして、文庫でも、電子書籍でも読めるようになった今年、多くの人に読まれてもらいたい本として、強くお薦めしたいものである。




Takapan
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